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2015年10月05日01:22

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幕引き

■『ドラゴンボール超』視聴率がついに4%台に突入! あの名作がなぜここまで落ちぶれてしまったのか?
(おたぽる - 10月04日 18:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=178&from=diary&id=3647509

DB人気が絶頂期だった昔、私はセル編を迎える前に見るのを止めた。強いやつを倒したら、また強いやつが現れるだけのストーリー展開に飽きたのが理由だが、正直、DBのピークはサイヤ人編からフリーザ編に掛けて。
ミスター・サタンはある意味人気を出したし、直接ではないものの、悟空たちのサポートをしてヒーローキャラを確立したものの、サイヤ人編以降、悟空たちのレベルが上がりまくった環境で、無理矢理日常と組み合わせて、等身大のヒーローを立てる必要は、正直無かったと思う。
数千年にひとりしか現れない伝説のスーパーサイヤ人に、悟空がなった時は確かに痺れた。
その悟空をライバル視し、強くなりたいと己を高めたベジータが、悟空を越える努力と、自分への怒りで目覚めたというのも理解できる。
悟空の長男である悟飯が、悟空の修行のもと、スーパーサイヤ人になって、更なる怒りによってスーパーサイヤ人を越えるスーパーサイヤ人になったのも、ストーリーの流れを考えれば許容範囲ではある。

だが、偉大なる父の血を引いたからというだけで悟天やトランクスが幼少期からスーパーサイヤ人になったのはやり過ぎ感があり−そもそもトランクスは悟飯との修行の果てにスーパーサイヤ人になったのではないか?−色んな矛盾を抱えながらブウ編が行われていたのは、間違いだろう。

次々と現れる強敵を前に、かつての師である武天老師がその将来性に惚れ込んだクリリン、ヤムチャ、天津飯、餃子という、本来地球を代表する超戦士の位置付けが曖昧になり−ただそれでも彼らはギニュー特戦隊を凌駕する強さを身に付けていたのだが−強敵を前にすると、噛ませ犬にすらならないという事実。あのピッコロでさえ、大差ない扱いになり、ベジータが言うように「ここからはサイヤ人だけがたどり着く境地」となった瞬間、登場人物が切磋琢磨して成長していくという共感が得られなくなったのが、そもそもの原因なのではないか。
ブウ編の様に茶々を入れて笑いを取り入れれば取り入れるほど、そこには違和感が生じる。そんな背景に、主人公と強敵だけがたどり着く境地。脇役は傍観者。ストーリーがそうなっては、ファン離れが進むのも仕方ないだろう。
そこに加えて、作画の雑さやスローペース過ぎるストーリー展開。それでかつての人気を、というのは無理がある。

一旦距離を置いた私が、DBに嵌まれたのは、連載終了した作品を、一気に読むことが出来たから、面白く感じる事が出来たのだと思う。同様にDB改も、原作に忠実にリメイクしていたから、ストーリー展開のテンポが遅くならず、昔のファンと新規のファンを取り入れる事が出来た。
だが、今のDB超のストーリーの先は、製作側以外誰も知らないし、次の展開を期待するには、あまりにも、時間が掛かりすぎている。しかも、今の話は映画のリメイクを引き延ばしているだけだから、余計にダラダラ感が拭えない。

このままでは、記事中にある新ストーリーに着く前に、話が打ち切られてもおかしくはない。
正直、DBはフリーザ編で終わりにするべきだったと思う。不朽の名作でありながら、その地位をより確実に出来ていたのではないか。

ジャンプの方針なのかは分からないが、10週打ち切り以上に、人気作品の幕の引き方の下手さは、本当に酷いと思う。
依然再開を望む声が止まない、もう一つの名作、スラムダンクは、もしかしたら、再開をしない方がいいのかも知れない。
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