鶴竜が横綱9場所目で初優勝 照ノ富士と決定戦決着
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3636386
まあどこにでもいろいろな人はいるもので、
読売ジャイアンツが勝てば、
半島の狂人のごとくに、
「ゴミ売が、虚カスが、インチキして勝った」
と毎度毎度根拠の無い恨み言をぶつける頭の弱い人たちもいるくらいだから、
鶴竜の相撲を見て、
「いろいろと気に入らない」人がいても何も不思議はない。
それにしても……
相撲に限っては、このにわか通というか、
「知ったかぶり」の識者気取りの連中の声がどこまでも高いことよ。
(;´д`)トホホ…
まずこの手の人間で一番頭の悪い奴らは、
「相撲は神事だから」という。
バカだね。
それは「神事」というものが何なのか、
全く理解せず考えようともしていない証拠だし、
「そういえばカッコがつく」程度の低能発言でしか無い。
相撲は、神事じゃないよ。
当たり前です。
特に「大相撲」という相撲競技の一興行形態が、神事のわけがない。
そもそも神事というのは、
どんなものでも「神事となりうる」概念なのである。
そういう意味では、野球だって競馬だってパチンコだって「神事になる」
神に対して、
「何かを奉納したり、たま振るいなどの働きかけを行う行為」であれば、
それらは、どんな行為でも神事なのである。
逆に言えば、
神に対してのものではない行為、
「日本相撲協会による大相撲興行」などは、
人が『人のために』やっているものだから、神事であろうはずがない。
もちろん、奉納相撲は「神事」となる。
相撲は……とか、大相撲は……といった場合、
神事であるなんてことは一切ないのである。
*「神事とは、特定の形態なのではなく、
神に捧げられる行為そのもの」なのだ。
大相撲は神事だからとかいうウスラバカは、
はっきり言ってどうしようもないレベルです。
神事とされる祭りには、
例えば「水かけっこ」(水掛け祭り)があるが、
これは、
「神事として行っている」
から神事なのであって、
「水かけっこ」がなんでも神事なのではない。
こんなわかりやすいアタリマエのことさえもわからず、
奉納相撲でもなんでもないただの大相撲興行を神事だと言い募るアホウは、
神事とは何かすら識らない恥さらしなのだ。
大相撲興行には「神道の要素」であるしこや塵手水などが配されているために、
いかにも「神道儀礼っぽい」感じがするからおかしな妄想を抱くのだろうが、
そんなの、
「漁船に神棚がある」とか、家を建てる時に「地鎮祭をやる」レベルの話で、
漁業や建築業が「神事であるわけではない」のと同様だ。
大相撲興行は、神事ではない。
更に言うと、仮に神事であるならば、
「神事としての儀礼規則」を守ればいいので、
真剣勝負であったり、優劣を競うことは余計に意味が無いのだがな。
まあいいや。
「神事」じゃなくたって、
客の身としては、「自分の期待する姿を見たい」ものだ。
かつて松井秀喜は、
甲子園大会において、
「ランナーがいようがいまいが、全打席敬遠」
というあまりの高校野球の常識からはかけ離れた戦術に遭遇した。
相手側の監督は、
「間違っていたとは思わない」
「それが最良の選択だった」
と言っている。
しかし、もちろん識者気取りの声の大きい人達は、
「恥を知れ」だの「高校野球を冒涜した」だのと言い出すし、
もちろん逆に、
「責められない」「しかたがない」「よく決断した」という人もいる。
どうも日本人は、
「スポーツマンシップに則り正々堂々と」という言葉に洗脳されており、
あらゆるスポーツは「勝ち負け以前に」真っ向勝負を期待する感じがある。
メジャーにはメジャーの「価値観」があって、
日本人よりもっと「実利的」なのだが、
なぜか、得点差が大きい時に盗塁しちゃいけないとか、
3ボールナッシングから打つのはいけないとか、
変なところにプライドごっこのアメリカンルールが有る。
ちなみに松井秀喜は、星野仙一によって「4打席全て敬遠」をやられている。
このとき、山崎にホームラン王を取らせるためだったのだが。
いつもながら仙一は実は非常にこすっからい。
日本人はもっと、星野仙一という男の実態を理解した方がいいと思うのだが、
なぜか「闘将」というイメージを抱き続けたいらしく、
星野の悪事はほとんどが非難されない。
(朝青龍時代の白鵬みたいなもんか?)
もっと個人戦で、もっとシビアなもので言うとボクシング。
メイウェザーをどう思う?
個人的にはまるっきり好きじゃないけれど、
あの「打ち合わずにポイントだけ取って判定までかわし続ける」スタイルは、
高度なテクニックのカタマリだから、
「通好みの面白さ」といえないわけではない。
*個人的には、ハグラーが大好きだったので、
レイレナードとか、
「見た目のポイントだけ取って」「ほとんどダメージ与えずに」
判定で勝つボクシングなんか認める気はない。
しかしそれでも、
メイウェザーに対して「チャンピオン失格」とか「恥さらし」とか言う気は全く無い。
そう、鶴竜のようにね。
じゃあなんでここまで大相撲って、
「こうでなきゃいけない」が横行しちゃったんだろうか?
双葉山のいらん影響が強いのはもちろんだけど、
どうも横審みたいなクズ組織を筆頭とする「権威大好き人間」たちによって、
「横綱はこうだ」
「正しい相撲はこうだ」
と、
「力士に対して上から目線でモノを言う」
超人に対して「人間として下に見る」卑しい習慣が常態化したためじゃなかろうか?
素人のくせに、オレが教えてやるみたいな。
その、実は存在しない権威の裏付けが、「神事」とか「相撲道」になると。
確かに、鶴竜のあの変化は、
「おいそれはねーだろ!」と私も思ったよ。
はじめて朝青龍と白鵬の「横綱同士の優勝決定戦」になったとき、
白鵬が飛んで朝青龍を瞬殺したのには、落胆しまくった。
しかしだね、横綱が変わって何が悪い!という気持ちは変わらない。
逆に言えば、
「変化を多用して、ちびっこ力士が横棚に上り詰めた」ら爽快じゃないか。
横綱は変化しちゃいけないのなら、
「舞の海は横綱になってはいけない」という話だろ?
それはおかしい。
今現在の力士の不自然な大型化と、
立会至上主義による押し相撲特化は、
この「変化は卑しい行為」とする風潮が根幹にある。
もし、多くの力士が「変化は当たり前」でやっていれば、
あんなに横に動けない身体は作れない。
全方位受けが可能な、そこそこスリムな足腰が要求される。
そうなれば、怪我も減るだろうし、
逆に「突進だけのあんこ」にもそれなりの存在感が生まれるってもんだ。
「鶴竜を非難する風潮が、
最終的に大相撲という競技をダメにしている」
それに、偉い人が気づけばもっと昔のような柔軟性を取り戻せるはずなのに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鶴竜が横綱9場所目で初優勝 照ノ富士と決定戦決着
2015年09月28日 10:16 日刊スポーツ
優勝決定戦の末に、横綱鶴竜(30=井筒)が9場所ぶり2度目、横綱昇進後は9場所目で初となる優勝を飾った。本割で手負いの大関照ノ富士(23)に寄り切られて12勝3敗で並ばれたが、決定戦は上手出し投げで下した。序盤で1人横綱となった今場所。2度の変化など横綱らしからぬ相撲もあったが、家族の力を支えに戦い抜いた。
賜杯の反対側には、29日で生後4カ月になる長女がいた。支度部屋で両腕に抱えた2つの重みこそ、ずっと思い描いていた夢。その「夢がかないました」。重圧から解放されて、鶴竜はしみじみと喜びに浸った。
いまだなかった最高位での優勝。重みは人知れなかった。勝てば決まる本割では当たり負け、右四つで寄り切られた。「またダメかと、一瞬思いました」。
迎えた決定戦では、館内に「照ノ富士」コールが充満した。前日の2度の変化と、手負いの相手の奮闘に、完全に敵役となった。だが、集中は切れなかった。両前まわしを取って頭をつけると、回り込みながら左からの上手出し投げ。最後に、自分の相撲が取れた。「この瞬間のためにずっとやってきた。腐らずに頑張ってやってきて良かったです。責任を果たせた」と、やっと肩の荷を下ろした。
綱の重み。そこに左肩のケガが加わり、春、夏と2場所連続で全休した。1人では、乗り切れなかったかもしれない苦しみ。だが、そこに新しい家族がいた。ムンフザヤ夫人(24)と、長女アニルランちゃん。
予定日から1週間過ぎた5月29日。鶴竜は病院の分娩(ぶんべん)室にいた。「父」となることを胸に刻むため。「1回は見た方がいい」と立ち会った。陣痛促進剤を打つほどの難産で、数時間かかった。喜びは一層、深かった。「娘は4480グラム。自分は4900グラムだったので遺伝かな」。夫人にも「オレの遺伝のせいかも」と笑って謝った。
初めて3人で場所中を過ごした9月。3日目で1人横綱となり、重圧が増した。勝たなければ−。変化も2度、選んだ。罵声も浴びた。その苦しみに耐えたのは、家族にも初めての優勝をささげるため。「僕をいつも笑顔にしてくれる。1人では考えたりして笑えない。家族ができて、プラスに変えてくれた」。
昇進から9場所目での賜杯に「自信になったし励みになる。先が見えてきた」と言った。ただ、今場所は白鵬も日馬富士もいない。照ノ富士も最後は手負いだった。その中での注文相撲は、横綱の威厳を薄れさせもした。それを取り戻せるか。全ては今後の鶴竜に懸かってくる。【今村健人】
◆鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)本名・マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。01年9月に来日。しこ名は先代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の「鶴」と「しっかり立つ」の響きから「竜」。「力三郎」は師匠の弟の元関脇寺尾(現錣山親方)の現役時代から取った。同年九州初土俵。06年九州新入幕、12年春後に大関昇進、14年春後に横綱昇進。得意は右四つ、寄り。186センチ、155キロ。家族は妻と長女。血液型A。
ログインしてコメントを確認・投稿する