生きるのが楽しい、
こんな経験は生まれて初めてだ、何週間か前くらいから、ウッスラそんな感じだった、日を追うごとに段々濃密になってきて「何この幸せ感?」みたいな感じだったんだけど2,3日前位からどうやら生きることそのものを楽しく感じているらしいと思うようになった。
生まれてこの方・・・いや、小学校4年くらいまでは楽しかったか?とにかく、少なくとも思春期くらいからどうにもこうにも、いやぁ四苦八苦とはお釈迦様もよく言ったもんだ、って感じだった。
振り返ってみれば「ああ、あの時は幸せだったんだなぁ、」とか、「あん時は楽しかったよなぁ、」とか思うことは多々っていうかボクの人生殆どそうである。
何故そうかというとこれは人間の脳が過去を美化するように出来ているからで、それはとっくの昔に科学が証明済みである。だから特に変わったことでは無い。
でも今のは、本日ただいまが楽しい、寝ている間以外はずっと幸せな感じがどこかにある、したがって本音を言うと眠りに時間を消費するのはもったいないような気がしている。
正直、今は健康のために仕方なく寝ているというのが実情である。(寝てみる夢まで楽しいけど)
別に何か取り立ててラッキーな事とかハッピーな事があったわけでは無い、まぁ、特に嫌なことがあった訳でも無いけど・・・要するに原因不明の幸せ感である。
今までも本日ただいま幸せです!!みたいな事は多々あったにはあったけどソレにはちゃんとそれなりのポジティブななにがしかがあって、ちゃんと理由を明文化出来た、
今回はその理由が思い当たらない、したがって明文化とか説明とか出来ない。
ソレで思うんだけど、もしかすると近々世の中は良くなっていくんじゃ無いだろうか?ソレを無意識かつ本能的に感じ取って、事前に幸せ感じているのかも知れない。
後、改めて気がついたんだけど、安西先生がカッコイイ、よく考えてみると安西先生よりカッコイイ顧問とか監督とか(リアルも含めて)チョットすぐには思いつかないんじゃ無いだろうか?
だからやっぱり、人間って言うのは見た目とかそう言うんじゃない、紡いでいく人生の物語がそのかっこよさを決定するのだと思う。
安西先生をタダの眼鏡かけたデブ親父(もしくはジジイ)としてしか見れない人は、これはほぼ間違いなくスラダン読んだ事ない人だと思う。
今生きててスラダン読まないのは何だか一生の損であるような気がする。
加えて大振りとかハイキューとか弱ペダとかある、ソレが今という時代である、この時代に思春期な人達というのは・・・ボクだったら感受性のヒューズが飛んでしまう位のことである。
良い悪いはべつにしてその精神的な負荷たるやいかほどの物か?と少々心配になるくらいである。だけど同時に想像も出来ないくらい充実した人生を歩めるチャンスな世代かも知れない。
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