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今日は、敬老の日です。敬老の日に思うというテーマでお話をさせていただきます。
今年私は44歳になり、敬老の日を祝ってもらうことがそう遠くのことではないなーと感じました。
娘の高校の学院祭にいって子どもたちの様子を見て、「若いなー」、しかも、「しっかりしているなー」と感じました。
私が「若い!若い!」ともてはやされていたのが、つい先日のような気がしますが、年月が経つのは早いですね。
今日は、純福音教会創立38周年の集会に行って来ましたが、チョーヨンギ先生を見て、お年になられたなーと感じます。
毎週、教会の礼拝に両親が来てくれますが(父は、大腿骨骨折で入院中)、年をとったなーと思います。
ついでに、妻も年をとったし、子どもたちは大きくなったと感じます。
敬老の日と自分自身の距離が少しづつ縮まって、お祝いして頂く日もそう遠くはないなーと感じます。
今日は久しぶりにゆったりした一日を過ごしています。今日の3つの行事(出来事)を分かち合いたいと思います。
1、純福音教会38周年 2、息子とヘアカット 3、第201回徹夜祈祷会
1、 純福音教会38周年
中野ゼロホールで、38周年の周年行事が行われました。韓国からチョーヨンギ牧師が来られました。
もう十数年前になりますが、フルゴスペル神学大学院で勉強をしました。良いものをたくさん学ばせていただきました。
チョーヨンギ先生は、もう80歳です。
しかし、説教する肉声は衰えていますが、いまだに、霊的には巨人です。神様の恵みと力に溢れたメッセージを聞かせてもらい、元気を頂きました。
朝10時からお昼まで、敬老の日にふさわしく!?ゆったりした集会の時間でした。
2、息子とヘアカット
実は昨晩、夕方の礼拝を終えて、ひと仕事を急いで終えて、息子といつも行く床屋に行きました。
店は夜8時までなのに、最終入店時間が7時半ということで、10分遅れでカットしてもらえませんでした。
常連客に対して、「すいません」ではなく、自分たちの店の都合をひたすら語る店員たちの姿を見て、頭に血が登りました。
他に2軒の床屋に行きましたが、同じく閉店していて、さらに怒り心頭状態になりました。
しかし、息子と前後2台で自転車を連ねながら、次第に気持ちが落ち着きました。
神様に祈ったので、心が喜びに変えられたのです。
神様に祈らなければ、そこらじゅうに当たり散らしたか、ベルを鳴らして歩行者を蹴散らしたか、イライラしながら帰路に着いたかも知れません。
「祈りの力はすごいな!」と思わせられました。
「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」(詩篇50:15)
息子がまもなく部活から帰って来ますので、改めて、笑顔でいつもの床屋に行こうと思います。
3、第201回徹夜祈祷会
私の恩師の一人である尾形守先生が、16年前にはじめた徹夜祈祷会が今日で201回目になります。
最近まで、新宿シャローム教会が会場でしたが、新宿福興教会に会場を移して継続されています。
なぜ徹夜して祈るのかといえば、昼間は忙しいので寝る時間を捧げ、夜を徹して祈ります。しかし私は、寝ないと疲れてしまって翌朝仕事に行けません。
何度、徹夜祈祷会をやめようと思ったか、思い起こしますが、続けていて良かったなーと思います。
イエス様は、ある日徹夜をして山に登り祈られました。その翌日、弟子を選ばれました。
後日、「選び間違えました」なんていうことは言えませんので、父なる神様と顔と顔を合わせて、どの人を弟子に選ぶべきかを相談し、選ばれました。
選んだ弟子の中には、裏切りのユダもいました。また、他の11弟子たちも、イエス様の十字架を前に、みんな裏切り、逃げてしまいました。
しかし、イエス様は、最後までユダに悔い改めて、やり直すチャンスを与え続けられました。しかしユダは、イエス様の愛を拒み続けました。
他の11弟子たちは、イエス様が十字架にかけられる前は、みんな怯えて逃げてしまいましたが、イエス様の復活を目撃し、聖霊に満たされた後には、ヨハネを除いてみんな、「イエスはよみがえられた。今も生きておられる」と語って、殉教していきました。
イエス様の祈りは、完璧な弟子だけを選ばれたのではなく、いろいろなタイプの弟子たちを選ばれたのだと思います。
後日、聖書を読んだクリスチャンが、がっかりしないためであり、「私もやり直すことができる」と、神に信頼して一歩踏み出すことができるためです。
神様のなさることは、私たち人間にはとうてい測り知ることができません。
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9)
昨日、私の教会では、創立14周年の記念をしました。
説教は、ヨブの生涯と結末を通して学びました。
神様は、悪魔に対して、この世で最も正しいと思われたヨブを試すことを許容されました。
ヨブは大富豪でしたが、すべての持ち物を失い、子をすべて失い、奥さんに見捨てられ、体は悪性の腫瘍でボロボロになりました。
何で神様は、「正しい」と言われたヨブに、そこまでのひどい目に合わされたのでしょうか?
私たちには、ヨブが心底悔い改めて、神の祝福をさらに受けるためだとわかりますが、その当時、ヨブにそのことがわかったでしょうか?
昨晩、安保法制可決は神が許されたことと書いた言葉に反応して下さった方がおられました。
私は、安保法制可決が100%神の御心だとは思いませんが、これは一つの通過点だと思います。
それは、ヨブを苦しめることが100%神の御心でなかったのと同じです。
神は、より良いことをなされるために、安保法制可決を許容され、神の御心を着々と進めておられると信じます。
聖書では、70という数字に意味がありますが、今年戦後70年を迎える年に、安保法制が可決したことにも、私たちの理解を超えた神の御思いが隠されていると思います。
私たちは、神の御心を祈り求めながらも、神がなさることはすべて時にかなって美しいと信じて、神を信頼する心を持たせて頂きたいと思います。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
私は、数多くの試練を通して、そのことを学んできました。それは火のような試練でした。
私は、誰にも相談できず、ただ口を閉ざしました。そして、ただ神にだけ祈りました。
本当の試練に遭うと、人に助けを求める気力すら出てきませんし、人に相談して解決できるような問題ではありません。
しかし神様は、その試練を一緒に通過して下さり、乗り越えさせて下さり、その試練の後に大きな祝福を与えてくださいました。
それから、どのようなことが起こってもジタバタしないで神に信頼する心をちょっぴり頂きました。
祈りは力です。
問題があったならば、徹夜したり、断食して、人から神に目を転じて祈りましょう。
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
神の恵み、神の助けを受ける時はいつでしょうか? 祈り終えた時でしょうか?
私は「今」だと思います。
今日のチョーヨンギ先生の説教の聖書箇所は、第二コリント6章1節〜2節でした。
「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:1〜2)
恵みを受けるのはいつか? 今でしょ。
シルバーウィーク残りの2日半も、素敵な時をお過ごし下さい。
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