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2015年09月15日06:11

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温故知新…その15:エアデールテリアとともに・犬狩り:ソロモンの指輪

「エアデール・テリアとともに」(関戸洋子著・千駄木館刊)の内容は、生前に日本警察犬協会エアデール・テリア本部長を務めた著者が愛犬雑誌等(テレビ番組にも数度出演)で語ったモノが編集されていて、その内容は多岐にわたるが、繁殖に関するモノが約半分を占める。

その残りのページの大半を割いているのが、「英米標準書についての比較的考察」等を始めとするスタンダードに関するモノ、エアデールテリア種誕生と百年祭から始まる「日本のエアデール・テリア界に影響を与えるた犬」等の系統・血統に関して。

その他としては、軍用や狩猟(エアデールのライオン狩り等)、その他の使役に関するモノ。あるいは、シートンの「にんじん物語」(エアデールの話)やローレンツの「ソロモンの指輪」の話や、第二次世界大戦争中の経験談等。

フォト「ソロモンの指輪(動物行動学入門)」(コンラート・ローレンツ著・早川書房刊)は、1987年(手元にある画像のモノが昭和62年改訂初版発行とあることから)に私も読んだ。読んだ切っ掛けは、当時飼っていなかった犬のことではなく、鳥や魚を飼育していたことからだったと思う。

この日記を書くのに(確認の為)、書棚の奥から引っ張り出して来て、チラっと目を通すと「何を飼ったらいいか!」という項が面白そうだ(笑)。折角の機会なので、ゆっくりと読み直してみようと思う…。

関戸洋子氏は1989年に亡くなっていて、その13年後の2002年からエアデールを飼い始めた私は関戸氏の人柄を知るよしもないが、この「エアデールテリアとともに」の中の「『ころ』という犬」(愛犬ジャーナル10月号・昭和43年9月)を読むと少しはうかがえる。

それによると、「ころ」は昭和15年5月に群馬県の伊香保温泉にある天宗寺の境内で生まれたコリー(ラフ・コリーか)の雑種と思われる牡犬だったようだ。

当時、小学生だった著者が犬を飼って欲しいと盛んに言っていたことから、著者の父親が天宗寺の和尚から仔犬のをもらい受け、「ころ」と名付けたとある。

その頃、著者の父親は榛名湖畔に今で言うところのユース・ホステルを経営していて、伊香保にある自宅との間を行き来していた。著者や著者の父親は、成長した「ころ」とよく行動をともにしたようだ。

当時は放し飼いが常識的であったようで、「ころ」は著者の通学時に送り迎えを自発的にしていたようだ。

著者の父親は伊香保と榛名の往復時に、「ころ」と度々ケーブルカーに乗っていたのか、「ころ」は著者の父親を追ってか人間の付き添い無しでケーブルカーに乗って往復したようで、駅に着いた客が乗っていない空の車両から「ころ」が降りてきて駅の助役さんを驚かせたとか…。

この「ころ」に関しての項は、13ページにも及ぶので、他にも色々とあるが割愛する。

やがて悲しい時が訪れる。

昭和17年に著者の父親が軍属として召集されたのだとか。日本が占領した南方各地にあるホテルを管理する為に全国のホテル関係者が南方へ送られたのだとか。

やがて、日本は食糧や物資が不足しがちになり、「犬狩り」(数年前に戦時中の「犬狩り」を題材にしたドラマをテレビでやっていたが…)も始まったと…。

「昭和19年になると、旅館という旅館は疎開の子供たちで一杯になった。犬を飼うということは、もうすでに国策に沿わないことであった。そして、『ころ』が生きているということは奇蹟にも近かった。」と。

昭和20年、前橋や群馬に焼夷弾が落とされ、B29(米軍爆撃機)の爆音がこだました、と。

その3月、とうとう「ころ」が犬狩りに捕まった。

「ころ」は、犬狩りを避ける為に自宅の庭の続きにある裏山に逃がしてもらっていたようで、伴侶と子をもうけていたとか。夜の闇に紛れて「ころ」は著者の自宅に戻り、著者たちが自給自足で確保していた食べ物の一部を与えられていたらしい。

ある夜のこと、いつものように著者が「ころ」の名を呼んだが、「ころ」は現れなかった。

そこへ著者の祖母が来て、「洋子ちゃん!さっき来た人ネ、役場の人でネ、今日、捕まえた犬の中に、お宅の『ころ』がいたけれど、兵隊さんの外套の裏の毛皮に献納するんだから…っていいにきたのよ」と。著者に「ころ」のことを伝えた祖母も辛かったであろう。

著者はその時のことを、「その時、はじめて事後承諾ということばを覚えたように思う。冷たく、とりつく島もないような、そのことばを―。」、「なんでうちの『ころ』だとわかっていて返してくれなかったのよ」、「私には、この世の終わりがきたようであった」と書いている。きっと、胸が張り裂けそうになったことであろう。

その翌日、著者は『ころ』の毛皮が役場にあるものと考え、確かめに行く。今で言うと、災害等で行方不明になった家族やペットの安否を確認する心境だったのであろう。

遺体等を確認するまでは、「どこかで生きている」としか思えないし、死んだとは決して思わないという心境だったのであろう。言葉では言い表せないような深い悲しみである。

だが、その役場に犬の遺物等は一切無かったようで、著者は確認することが出来ず、「私はどうしてもそれを確かめておきたくてきたのに、役場の建物は、私の切りきざまれそうな思いと全く別な表情をして、無意味に、建っていた。」と記している。

「『ころ』がもし一頭だけひそかに生活していたのなら、決してつかまえたり(「捕まったり」の誤表記か?)はしなかったと思う。妻をかばい、子をかばい、仲間をかばいそしてつかまったのだと思う。『ころ』にはそうした優しく、強い心があったから―。」と、続けている。

「戦争はその八月に終った。『ころ』たちの毛皮は、兵隊さんたちの体を暖めることもなく、散佚(さんいつ)してしまったと思う。今になって気がついてみると、『ころ』たちの肉は、犬狩りの人たちの胃袋に納まったのかしれない。『これもお国のため』と必死になってこらえたあのときの思いとは全く別なエピローグが、そこにあったのかもしれない。その時代は、そうした時代であった。大きな流れの渦の中で、必死に生き、耐えしのんで、そして消えていった犬たちの心が、いまはただいとおしい―。」と、結んでいる。

どれだけの犬が殺され、どれだけの軍犬(軍用犬)が国の為に戦場で兵士を助けて散り、どれだけの犬が戦地に放棄されたことであろうか…。

「軍犬利根の物語 - ぜんこうのひとりごと」http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2687.html ←このブログによると、軍馬20万頭、軍犬1万頭が命を落としたとあるが…。

鬼怒川の堤防決壊で自衛隊が犬と一緒に救助。
http://www.j-cast.com/2015/09/11245039.html?p=all (投稿者は悪意で「ルール違反」とした訳ではなく、自衛隊の救助を頼もしく思えて、思い違いから書いたようなので責める気は全く無い)や、http://news.mixi.jp/list_quote.pl?sort=feedback_count&page=2&type=diary&news_id=3611164 陸上自衛隊が要救助者をペットと一緒に助けていたというエピソードをあるユーザーが受け、「東日本大震災以降、ペットの同行避難は環境省が推奨していること」と説明を示したが、それに対して「自衛隊が人間以外を救助するのは…」とか、「アレルギーがあるからペットを避難所へ連れて来るな…」という心無いことをいう者がいて、マイミクさんの中には「自力で避難しかないのかなぁ?置いてきぼりにするぐらいなら、一緒に死ぬ!」という方がいる。

おそらく、飼い主さんの大半はそうした方だと思う。死ぬまで責任をもって飼うということは、そうしたモノだから。

地震等での災害時に、瓦礫に閉じ込められる等の状況に陥った犬嫌い(あるいは犬がダメ)で、日頃「避難所へ犬を連れて来るな」と言っている方が、皮肉にも捜索をする犬達に助けられようとすることがあれば、「犬には助けてもらいたくないので救出せず、このまま死なせて欲しい」と拒否して頂ければ、救出を待つ他の方を優先に捜索できるので非常にありがたいが…犬達は、そんなことは意に介さずに発見して助けろというだろうな。

避難所でのことはサテおき、災害時等において、人が犬と一緒に避難し救助を待っている場合の救出について、「人間以外を救助するのはイケナイ」だとか、「ペットと避難できないのなら死ぬという者は、一緒に死ね」だとか、心無い一般人が言うのは勝手だが、犬に借りがある防衛省や警察庁が言うのならば、私は許せない。仮に、その犬が単なるペットであっても。

もし、防衛省や警察庁が、恩義を微塵も感じない一部の一般人のような考えを持つのならば、犬を使うことを止めてからにしてもらいたい。

人と犬が一緒に避難して救助を待っていて、その救助される人が犬を抱えるなどして、救助作業に大きな差し支えが出ない場合は、今回のように救出しなければならないと思う。

このような場合、貴重品を入れたバッグやリュックサック等を身に付けているに等しい。今回の救助の場面を見ていても、そのような携帯品を捨てさせている場面は一切なかった。捨てろというほうがオカシイだろう。

「動愛法」があるものの、法律上で犬は物扱いだから、その身に付けている貴重品を捨て去らねばならない特段の状況や理由がない限りは、私はそれを認める訳にはいかない。

http://tamesue.jp/20150213/ 恩がわからない人←為末さんも、現役の時から恩が分かっていたなら、もっと力が出せたかも(笑)。

今は不治の病である腸リンパ管拡張症と闘うウチのグレイスが2013年に出場した警察犬協会本部主催の「日本訓練チャンピオン決定競技会」の目録を見ると、「警戒競技の部」に「呉地方総監部防衛部長」の所有犬として3頭が出場している。翌2014年の当該競技会の結果→http://www.policedog.or.jp/gyouji/kunren/2014/index.htm (転載を禁じているので、閲覧は項目をダウンロード)

フォト フォト
フォトゼッケンナンバー・44「ムック フォン フクヤマ ミヤモトソウ」、同55「クリス オブ ハウス R.A. 」、同120「オルレック フォン ヨーコ ショーナン jp. 」の3頭が自衛隊の犬。自衛隊の犬は警察犬協会(前身は帝国軍用犬協会=略称はKV)の競技会に以前から出場し続けている。

先般の災害において救助活動をしたのは陸上自衛隊である。その陸上自衛隊には犬はいないとのことであるが、自衛隊を統括する防衛省として犬を活用していることには違いはない。
http://www.mod.go.jp/rdb/tohoku/fmradio/2309gatuhousou-yamagata.html

余計なことだが、南極観測隊が南極に犬を置き去りにして、観測隊がその後どんな目に会ったか思い起こすべし。また、当時は極限状態の冒険と言っても過言ではない南極観測に出向いた初代観測船「宗谷」(奇蹟の船とも言われる。当時の観測船は海上保安庁…現在の観測船は海上自衛隊)には猫やカナリアも乗っていたことも忘れてはイケナイ…何故かを考えるべし。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%AD

更に余計なことだが、私のハンドルネーム「クルト」はグアム島にある米軍軍用犬墓地にある軍用犬の代表として像になっているクルト号(ドーベルマン)からもらった。日本軍と戦った敵軍の犬の名前をもらったのには、それなりの理由があるが、私は非国民かな。犬達には国境などは無い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%8A%AC ←「軍用犬墓地を訪れる軍用犬とハンドラー」と題された画像。犬とハンドラー(犬を扱う兵士)の前方に、台座に戦死した犬達の名前が刻まれている「クルト号」の像がある。

関連ブログ…「帝國ノ犬達」↓
http://s.ameblo.jp/wa500/entry-10309911546.html?frm=theme エアデールテリアの戦争(前編)

http://s.ameblo.jp/wa500/entry-10504710825.html?frm=theme エアデールテリアの戦争(後編)


つづく…

災害時にペットとの同行避難は控えるべき? 「環境省が推奨している」とTwitterで話題に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3611164

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1509/11/news094.html 災害時はペットと同行避難すべき 環境省がガイドラインで推奨 - ねとらぼ
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