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2015年09月12日19:23

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【旅】自転車日本縦断記(1):北海道(2000年7月25日〜)

大学4年の夏。2000年当時、超氷河期の就職活動の末に決まった内定先(Y印乳業)が大きな社会的事件を起こして連日ニュースに流れる状況に。
将来がどうなるかわからない状況になり、大学を休学した22歳の僕が旅に出たお話です。
※当時は就職活動に失敗した後の自暴自棄な状況の為、考えがやさぐれて言葉遣いが荒れています。

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<北海道:友人達の旅行に同行>

■2000年7月25日(火):旅立ち(自宅〜フェリー)

 04:25に自宅を出発。見送る母親にいつ家に戻るのかと訊かれ「予定は未定」と、おどけてはぐらかした。(俺にだってわからんよ。旅のルートも目的地も、この先の人生も)
 『大学4年生』『就職活動をドロップアウト』『社会からの落後者』それが今の俺の立場だ。
 05:36発のいわき行きの電車から移動開始。その後『原ノ町』、『仙台』、『一関』と乗り換える。北へ向う路線は乗り継ぎでの待ち時間が長く、勝手が悪い。新幹線を使えば楽だが旅費の節約の為に各駅停車を利用。雨脚が強まったため電車が途中停車を繰り返し、15分遅れで八戸に到着。ここからフェリーで北海道苫小牧へ向う。
 二等船室で雑魚寝。子供の多い日だったので熟睡できず。

■2000年7月26日(水):合流&強行軍(フェリー〜層雲峡)

 目を覚ますと見慣れない天井。船室か。昨晩、騒がしかった子供らはぐっすり寝ている。下船準備をして時間を潰す。
 下船後ターミナルで友人達と合流。移動手段は友人のワゴン車。俺の自転車もワゴン車に乗せてもらう事になった。(燃費悪いだろうな。男5人も乗っている上にこれでは)
 苫小牧からまずは富良野へ向う。『北の国から』で知られる麓郷の森、ジャム園、日の出公園と回って宿泊予定の層雲峡YH(ユースホステル)へ。予定を詰め込みすぎたか、ゆっくりとする時間があまり無かった。
 宿の近くでスキー板を抱える集団を見た。(サンドスキーか?それとも山の上に雪が残っているのか?)

■2000年7月27日(木):釧路3rd(層雲峡〜厚岸)

 朝、皆なかなか起きれなかったため出発が30分ほど遅れる。
 阿寒湖を経由して釧路へ移動。車内で友人達から「自転車での旅は辞めて、この旅行が終わったら一緒に帰らないか」と言われ心が揺らぐ。(俺だって一人旅は不安。だが、今おかれた状況で家にいても…)
 釧路市の観光名所『和昭市』で昼食。飯を買って、その場で海産物を乗せて食べる名物:勝手丼を食べる。オバちゃん曰く「安いでしょ。」 ご飯が丼ぶり一杯で200円。刺身2,3切れで150円…。安いのか?(まぁ、今回で3年間続けて食べてるが)
 北上して釧路湿原へ。ラムサール条約に指定。
 展望台を目指す。とんでもない悪路。急勾配、砂利、砂地etc、チャリで来なくて良かった。展望台からの景色は広大で360°全視野あきれるほどに何も無い。これだけで北海道に来た気分にさせてくれる。(本州じゃ決して見れない)
 今夜の宿は愛冠YH。夕食が宿代に対しては豪華。
 夜寝付けなかったので、携帯電話のゲーム『GUNPEY』のスコアアッタクに燃える。深夜まで白黒の画面を見つめてた。

■2000年7月28日(金):類友(厚岸〜清里)

 『GUNPEY』やり込み全く眠らず、アホか俺は。寝不足の体に朝飯を詰めて出発。
厚岸から圧床、知床の景色を見ながら移動・・・予定だったが濃霧で何も見えず。知床や羅臼では夏とは思えない寒さで震えつづけていた。
 悪天候&砂利路10kmの前に『カムイワッカの湯』を諦めて、『知床五湖』へ。一湖〜五湖となんのひねりも無い名前がついた五つの湖で形成されているが、熊出没の放送があり規制がかかり一湖と二湖のみ散策可だった。
 土産屋をのぞくと「熊カレー」「鹿カレー」「トドカレー」等の缶詰。先住していたアイヌの人々にとっては祖先から食べてきた物。
 宿に向うには早い時間だったので、『網走刑務所』に寄る。ここで、脱獄をテーマに“務所入り”“脱獄未遂”“出所”のシチュエーションで写真撮影を行った。刑務所の門前で両脇を抱えられコートを被りうつむいた写真、塀をよじ登ろうとする写真、看守に礼をして出所する写真。こんな馬鹿をやって他の観光客の失笑受ける。
 丘をいくつか越え、清里イーハトーブYHに到着。このYHは他のYHでは既に廃止されているミーティングがあり、ペアレント自らが撮影した観光スポットPRビデオ等を流していた。イベントも充実しており、冬には熱気球にも乗れるらしい。
 無理を言って明日に、裏摩周からのMTBサイクリングを予約してもらった。

■2000年7月29日(土):ノンアップ・サイクリング(清里〜深川)

 YHで朝食。ペアレントの車でレンタサイクルと共に裏摩周展望台に運んでもらう。
 摩周湖は霧のために見えず、霧が晴れるのを待つが時間の無駄だった。待っている間、バスツアーの中年男の集団が来る。若いガイド相手に、笑えない下ネタを吐き続ける中年男達。(オッサンが!)ああは成るまい。
 8:30出走。高所に車で運ばれたので、下り坂が続く。ペダルを踏まずに進むMTB。爽快だが、何かが物足りない。俺にとって自転車での走りは、死ぬほどキツク憎悪の対象にすらなる上り坂と、その労をねぎらう下り坂が不可欠だ。
 『神の子池』『じゃがいも焼酎工場』『宇宙展望台』を回る。『宇宙展望台』へ向う時に上り坂があり、自転車に慣れない仲間達はかなり苦労していた。とはいえ俺も、研究室と就職活動ですっかり体が鈍っていて、息を切らし立漕ぎまでしてしまう。(衰えたなぁ)
 13:00にYHに到着。13:30YH発。
 ドライバー役が300kmを運転し、イルムの丘YHに到着。(ご苦労様です。)
 イルムの丘YHはログハウス風の洒落た造りだったが男5人が泊まるには少々、部屋が狭かった。
 寝付けなかったので下の談話室で他の宿泊客と雑談。俺は会話を盛り上げるのが苦手だが、そこそこ楽しく話した。YHの宿泊客は変わり者が多く、ここでも「公務員辞めてパチスロで食っている」人など個性的(世間から見てドロップアウト組)な人と雑談。(俺も就職ダメでドロップアウト組なのだが)

■2000年7月30日(日):札幌エセ観光案内(深川〜札幌)

 6:30起床。7:30出発。昨日まで、車の運転手役とナビ役を、特定の友人に任せきりだったので、今日は俺がナビ役をする事に。
いきなりミスる。慣れない事はやる物じゃない。
 国道5号線で小樽へ。この日は何かの祭りだったらしく、子供達が舞台の上で太鼓を叩いているのを見物した。
 小樽といえばガラス細工。ガラス工芸の展示をしている店を見て回ったり、六段重ねのソフトクリームに挑戦する。ラベンダー・夕張メロン・生チョコetc・・・と北海道の名物のフレーバーを、ほぼ網羅しているお得感があるが、食べきる前に溶ける。
 国道を戻り札幌へ。とりあえず、『羊が丘公園』へ行く。ポーズを決めたクラーク像と記念撮影。ここでは札幌がほぼ一望できる。建設中(当時)の札幌ドーム見て過ごす。
 市街地に移動し『サッポロビール工場』に見学へ。ここはお勧め。
 見学料が無料&キレイなオネーサンの案内付き。さらに、最後にビールの試飲では、場所はビアホール、ビールはジョッキに注がれ、おつまみ付き。飲み終わる頃には、「お代わりは如何ですか?」って試飲とは思えないサービス。これはいい。
 ドライバー役以外はほろ酔い気分で工場を後にし、この日の泊まるYHへ。荷物を置いた後、『赤レンガ』『大道公園』『雪印パーラ』『時計台』と定番コースを回る。
 札幌には、既にサイクリング部の合宿や一人旅で来た事があるので、今回で3度目の訪問(釧路も3度目)。まあ、自転車での移動でなく、買い食いも自由だから、別物と考えれば楽しめる。以前は”旅”で、今回は”旅行”。
 夕食は「札幌にきたらラーメンだろう」と無難な選択をし、『味の時計台』というラーメン屋で。ここで、メニューの激辛ラーメンが「普通の人は食べきれない」様に表示されていて、俺の中のチャレンジ精神(別名:いらんことしいスイッチ)に火をつけた。即注文。
 ・・・とんでもなく辛い。人の食い物じゃない。誰だこんなメニュー考えたのは。何とか食べきるが、スープの倍の量の水も流し込んだので、腹がタプタプ。旨い物を食べた充実感は無かった。ちなみに、友人達は無難な選択していた。
 この日、大通公園で大手ビール会社によるビアホール大会があり、各メーカーが『自社のビール』と『アトラクション』と『きわどいコスチュームのコンパニオン』で客数を競い合っていた。ぜひとも昼間の恩を返すべくサッポロビールのブースに行きたかったが、友人達がノリ気でなくビアホールを後にした。嗚呼、俺のコンパニオン達が・・・(<違)』
 サッポロのYHでは、この旅行初のほかの客と同じ部屋でのザコ寝。俺は慣れていたが、友人のうち何人かは違和感があったようだ。

<自転車旅開始:北海道>

■2000年7月31日(月):旅の始まり(札幌〜苫小牧、苫小牧〜白老町)

 昨夜、深夜番組でF1の放送があり、興味のある友人達が遅くまで見ていた事もあり、朝起きるのがつらかった。
 朝食後に出発。ここのYHはもうすぐ閉館になる。以前にも泊まった事もあり、少々感傷的になる。
友人達は苫小牧発のフェリーで地元に帰るので、今日で別れることになっていた。
 とか、考えている時にガツンと車を揺らす衝撃。???
 事故。状況からコチラの過失になるようだが、相手の横柄な態度と、後に聞いた助手席にいたの友人の話を聞くと・・・。ヤメ、済んだ事だ。ただ、旅行の最後の日にこんな事があり残念な事と、助手席に乗っていた友人が「自分の不注意だ」と気を病んでいたことが、気がかり。「旅行が台無しになった・・・」とは思わないが、「もっと俺が左に気をつければ・・・」「日程に無理が無ければ・・・」と『たら話』は尽きない。
 事故は支笏湖近くの『苔の洞門』に向う途中で起きた。警察を交えての事情徴収が終わった後、観光は諦めて苫小牧へ。
 
 苫小牧のデパートで食事。後、自転車での旅に足りない装備として、『銀マット』『折りたたみナイフ』『電池』等を購入。
 ここで友人達と別れ、自転車での一人旅が始まる。苫小牧から北や東の釧路、旭川、稚内、札幌、小樽などは1〜2年前の自転車の旅で既に回っているので、これからの進路は南下して本州を目指す事にする。

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車から俺の自転車を降ろし、友人達に手伝ってもらい組み立てる。見送られながら18:00苫小牧発。国道36号を走る。久々にフル装備(リアキャリアにサイドバック×2、ドラムバック、リュックサック)での走行。少々ふらつく。(俺も衰えたもんだ。本調子に戻るまでどれほどかかるか。)
 20:30。白老町に着く。本来、ツーリングでは暗くなる前に宿泊場所を探しておく事にしているが、先を急いでナイトランしてしまった。早いところ勘を取り戻さないとトラブルを起こしそうだ。
 あまり好ましくないが住宅街の公園にテントを張り、北海道のコンビニ『セイコーマート』で夕食にチーズ、ワインを買う。テントと自転車の間にロープを張って、タオルを干す。人目につかないようテント内で食事して、日記を付けて就寝。
 ん?実家から携帯に着信が。Pi。
 電話に母親が出た。皆と別れ、自転車での旅をはじめた事を伝える。母親はどうやら友人達と一緒に帰ってくることを期待していたようだ。だが、もし家に帰っても俺は、前と同じ自棄な行動を繰り返すだけだろう。(自暴自棄に夜の街を当てなく歩く。それと比べれば今の方が有意義だ。)
 母親から体に気をつける様に言われる。(母親にとっては子供はいつまでたっても子供か。)あと、以前就職活動をした会社から連絡があった事を聞く。その会社は2週間ほど前に受けた所だ。(2週間放置しといて、今更連絡寄越してもな。それに俺は1000km離れた土地にいるんだよ。)
 ワインを一本空けて寝る。

・走行距離 24km
・累積走行距離 24km


■2000年8月1日(火):紫外線被害(白老町〜長万部)

 ひさびさの野宿で気が張っているのか4:30に起床。パッキングに時間がかかる。(早いところ勘を取り戻さないとな。『不審者』扱いされた時に早くトンズラするためにも)
 5:30出走。工業地・苫小牧-室蘭間を結ぶ国道36号は大型トラックが多いので、国道以外の道を走る事にする。・・・迷った。ドコだここは?断念。1hロスして国道に戻る。


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 この区間には『登別』『洞爺湖』と見所は多かったが(と、いうか洞爺湖に行く道は交通不可。噴火の影響か?)、室蘭の『地球岬』のみ見物。道が細く、坂がキツイ。崖に向う道だから仕方が無いか。途中、50過ぎの中年男に話し掛けられる。転勤続きで以前は俺の地元・千葉にも居た事があるという。渡る予定だった白鳥大橋が自転車通行不可だと聞く。(ジリ貧の室蘭が観光資源にしてるって聞いてたが、お役人には車で来てガソリン食らって排ガス巻き散らかす連中しかお客に見えないって事か。)

 地球岬到着。
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アイヌ語で『ポロチケウェ(親である断崖、自分を削り取ったもの)』というだけあって、なかなかの景色。惜しむのは柵張りすぎて、崖に近づけない事。(まぁ老人の観光客が多いし、柵無しでは事故と事件が多発するだろうな。)自転車置き場に戻ると、サイクリストが3人。(ヘルメット被って走りに重点を置いた"バイク"に乗っているのを『サイクリスト』。Tシャツ短パンで荷物山積みの"自転車"に乗っているのを『チャリダー』と呼んでいる。俺は。)
 彼らは室蘭工業大学のサイクリング部の学生で近々あるレースのためにトレーニング中だそうだ。北海道の情報を教えてもらった。長万部の『カニめし』を勧められる。俺も小樽の6段ソフトクリームの話をしたら、礼文島にはレブンとイレブンを掛けた11段ソフトクリームがあると聞かされた。地元民相手に知ったかぶると大概、恥をかくことになる。

 出走。白鳥大橋が通れないので、来た道を戻り国道36号へ。往復14kmのロス。
 今日の目的地は、勧められた事もあるのでカニめしを夕食にしようと長万部に決めた。国道36号から国道37号に移る。(長万部までは130km。・・・トレーニングにもってこい、か?)
 ・・・北海道は寒いと思われるだろうが、少なくとも1999年と2000年の夏に関しては間違いだ。熱い。日中の気温は36度を超えている。苫小牧のオバちゃんにも「今年は内地(本州の事)よりも熱いんだって。」と聞かされた。さらにコンクリートの道路からの照り返しで走行中の体感温度は・・・(絶句)。汗で濡れた白のTシャツなど遮光効果は無に等しく、火傷クラスの日焼けを負う。
 礼文華峠、静内峠と峠が続く。両方とも300mアップほどの峠だったが、すっかり鈍り余計な駄肉で5kg増えている俺にとってはかなりの難所。熱さと坂との闘い。峠途中のドライブインで『メッツガラナ500ml』を二本続けて浴びるように飲んだ。(峠との闘い、敗北。それにしてもガラナってドクターペッパーに近い薬臭さがある。中毒性でもありそうだ。)
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 18:30長万部到着。噂のカニめしをさっそく購入。\1k。(旨い事は旨いが、自分で米炊いてカニ缶かければ作れそうだな、コレ。)道に迷いつつ風呂屋へ。湯船に入るが日焼けが痛みゆっくり浸かれず。日焼け止めを買っといた方がいいか。
 ここでチャリダー3人組と会う。彼らは北海道最北端・宗谷岬から出発し、九州最南端・佐多岬を目指しているそうだ。俺は去年・一昨年と北海道を走っているので宗谷岬〜苫小牧は走っている。そういえばゴールも決めていなかった事だし、九州まで行ってみようか。
 風呂から上がり寝床を求めてチャリを走らせていると、前に『角』を生やしたチャリダーが。(角?)彼は長崎大学のサイクリング部で北海道合宿のついでに現地までチャリできたという。角付きのメットは部の先輩に押し付けられたそうだ。ツーリング中に被って無くてもバレないのでは?と聞くと、「証拠写真とって来いと言われているんですよ。」(体育会系の縦社会。嫌いじゃないがな、こう言う頭の悪さも(いい意味で))


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 彼と一緒に寝床を探し、小学校近くの公園にテントを張る。九州から北海道まで来たルート等を聞く。本州に渡ってからは日本海沿いをまっすぐ走ったそうでここまで2週間かかったそうだ。ペースが速いのでは?と思っていると、「疲れてスーパーマーケットの前でうたた寝していたら、警察に通報されて一泊お世話になっちゃいました。」まぁ、角も生えてるしわからんでもないが。寝床に困ったらスーパーの前で寝てみるか。
 彼は寝るのが早かったので、一人でビール飲みながら日記をつけて夜を過ごす。

・走行距離 161km
・累積走行距離 185km



■2000年8月2日(水):観光地でのマイノリティ(長万部〜函館)

 5:30起床。コンビニパンで朝食を摂り、長崎大学の彼と長万部駅で記念撮影した後、出走。直後にパンク。積んだ荷物をすべて降ろして、タイヤを外してチューブを点検。(めんどくせェ)
 穴発見。パッチでふさぐ。荷物を積み、気を取り直して出走。国道5号を函館方面に向けて走る。
 アップダウンが続く道。北海道らしく他のチャリダーが多く、片手を上げて挨拶しながら山道を行っていると、タイヤから空気の抜ける音が。(またかよ)
 パッチは先刻使い切った。どうしようか考えていると反対方向からママチャリに乗った初老の男が。話すとママチャリで茨城から来たという。定年後にやってみようと思っていたとの事。残念ながらパッチを持っていないと長万部の方に向って走っていった。
 地図を見る。(次の街は・・・八雲か。ここから8km。行けない事は無いか。)3時間チャリを押して歩き、ようやく八雲に着く。田舎町なのでMTBのチューブを扱う自転車屋があるのか不安になる。道行く人に聞きながら探す事30分、ようやく見つかる。俺が使っている米式バルブのチューブが無いので、仏式バルブのチューブを購入。所持している空気入れとの互換性があるので、特に問題は無い。
 ここまでで4時間近いタイムロス。遅れを取り戻そうとハイペースで飛ばす。(っと、一応、例の一次試験通った会社に連絡しなくては)電話かける。「はい、○○○○(株)です。はい、少々お待ちください」・・・3分経過。(携帯料金…。)「すみません。担当の○○はただいま席を外しておりまして・・・。」(ああ、そうですか。義理で電話しただけだしな)。電話ついでに休憩&買い物。日よけに帽子、Tシャツの予備を買う。¥4641。
 14:30。丘を登り『ケンタッキーファーム』に寄る。ファーストフードのイメージアップに公開されたのだろう。目に見えるところは健康的で良い牧場。(で、実際に俺らの口に入る肉はどこで生産されているんだ?)景色を眺めながらバニラアイスを食べる。体温冷却。糖質補充。

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 農場の係員と会話。「どこから来た?」「どこに行く?」「学生か?」(定型会話)。「よかったら、仕事が終わった後、車で送ろうか?」嬉しい誘いだったが、やはり自力で走りたい事と、彼の家と逆方向なので断る。出走。
 海沿いの道をひた走る。景色よし、左手に大きな山が見える。『駒ケ岳』だ。
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海沿いの道終わり山道へ。函館に向う道はこの国道5号しか無いので(日本海側にもう一本あるらしいが)交通量多し。排ガスにまみれて坂を登る。七飯のあたりで食事。峠のドライブイン?で買ったイカめし(¥550)をバーナーで湯を沸かし温める。食べながら今夜の宿をどうしようか考える。(少し戻って大森公園にするか。それとも函館まで進むか?)
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 とりあえず函館YHに電話。今夜は満室。しかたない大森まで戻るか、と思っていると続きが「知り合いにペンションやっている所があるから紹介しましょうか?」是非とも。電話番号聞き予約を入れる。20:00までにチェックインして欲しいとの事。現時刻18:00。(函館までは30km。イけるか?)ハイペースで飛ばす。途中、『じゅん菜の沼』に寄る。時間が無いのと調理法がわからないので採集は諦めた。
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 函館に着く前に暗くなる。(ナイトランは嫌いなんだが・・・。慣れない道での夜間走行は危険が多い。)気がつくとホクレン(ガソリンスタンド)でもらった『北海道ツーリング2000』の旗が無い。(あー、いい記念品だったのだが。)
 19:58。『プチペンション・サラブレット』にギリギリで到着。部屋数3つと小さなところだが、いい雰囲気。管理人兼経営人と会話。俺が就職活動でコケた話をすると「その会社にいた人がこの間泊まったけど、辞めて公務員になったそうよ。その人が言うには人使いが荒かったとか」まだ内定取り消しは出されてないが、既に入社する意志はなかったし吹っ切れるためのいい材料をもらった。前に泊まった『イルムの丘』でも父親がその会社の社員だった人と話したが、いい話は聞かなかった。(ひょっとしてとんでもない会社なのではないか?)
 軽くシャワーを浴びて出ると管理人が「汚れた服ない?あったら洗うわよ」お言葉に甘える。サービスいいな、と思い部屋に戻るとテーブルにスポーツドリンクが置いてある。(助かる。いい宿だ)
 チャリから荷物を降ろし、観光へ。夜も遅いので大概の施設は閉まっているが、函館山のロープウェイは運営しているので向う。函館市内では祭りの最中で賑わっていた。祭りもいいが『100万ドルの夜景』も捨てがたい。・・・夜景を選択。
 函館山に向う道はとんでもない登り坂。ロープウェイは終便だった。ぎりぎりセーフ。
 ロープウェイから見る夜景は素晴らしかった。甲高い声でわめくオバサンのダミ声さえなければ最高だったのだが(観光地における騒音問題)。あと、俺のカッコ見て引いている人々がいた。くたびれたTシャツに短パン、日に焼けた顔。確かに見ていて気持ちのいい物じゃないな(俺も観光地の異物)。絵葉書を買ってから下りの最終便で山を下りて、宿に戻った。
 コンビニで買ったビールとナポリン(ジュース。北海道限定?)を飲んで寝る。

・走行距離 126.7km
・累積走行距離 311.7km

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