mixiユーザー(id:47361257)

2015年09月10日13:54

786 view

南山城大水害

■栃木・茨城など記録的大雨、5万3000人に避難指示
(朝日新聞デジタル - 09月10日 11:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3608841

京都府相楽郡南山城村に、一つの石碑が立っている。

南山城水害ー今から60年前の8月15日に起こった、いわゆる昭和28年の大水害、山城大水害の記念碑だ。
この水害で、南山城村では実に51人もの人が亡くなった。

ここに、当時11歳だった女性の話を綴ろうと思う。
僕の知り合いの女性である。

その日。
夜半から激しく降り出した雨のせいで、その女性はなかなか寝付けなかった。
雨は午前1時を回るにつれ、その激しさを増した。
雷鳴は、絶え間無く鳴り響き、稲光の所為で、深夜だというのに、昼間のような明るさになったという。

激しい雨は、一晩中続いた。
女性は、いつしか眠りに就いた。
異変が起こったのは、その日の夜明け、午前5時頃だったという。

突然、ゴゴゴ…という凄まじい音が鳴ったかと思うと、家の中に大量の土砂が流れこんできた。
土砂に寄って、家は押し潰され、床は土砂と共に押し流され、その女性も土砂と共に押し流された。

当時、この家の中には、11歳のこの女性の他に同じ部屋で寝ていた5歳の弟、隣の部屋で母親と共に寝ていた4歳の妹がいた。
父親はこの日、夜勤で家に居なかった。

女性は土砂に押し流されながらも、部屋の柱にしがみついた。
近くには彼女の弟が泣き叫んでいた。
見れば、床下に流れこんだ土砂が土石流となり、ゴウゴウと流れ込んでいる。
弟はその床下に今にも落ちようとしていたのだ。

女性は、必死になって、弟が流されまいと、その手を握った。
だが、11歳の女の子の力では、どうすることもできない。
握った手はいつしか力を失い、寒さの為に手が痺れた。
ハッと気が付いた時、握った手を離してしまっていた。

「お母ちゃん!!」

そう言いながら、小さな男の子は、濁流の中に呑み込まれていった。
それが、弟の声を聞いた最後の言葉だった。

その女性もまた押し流される土砂に呑み込まれ、しがみついていた柱もろとも、土砂に押し流された。

気が付いた時、女性は木津川の下流300メートル先にいた。
たまたま、流された先の河川敷の草叢に放り出されて助かった。

隣の部屋にいた母親も同じく、土石流に流されたものの、隣の家の屋根に流れついて、一命を取り留めた。
だが、母親の頭には、流された柱から出た五寸釘が刺さっていて、血がとめどなく流れていた。
妹は、土石流に流されて行方がわからなくなっていた。

結局、あの水害から60年が経った今も、その女性の弟さんと妹さんは見つかっていない。
荼毘に付すこともできないまま、今年もまた2人の墓参りをしたという。

その女性が最後に聞いた

「お母ちゃん!!」という声。

それを彼女は、今でも頭にこびり付いて離れないという。
弟さんは、来年、小学生に上がるの心待ちにしていたという。
それがまさか、こんなことになるなんて。
彼女は言う。

僕には、その話を聞いて掛ける言葉が見つからなかった。
ただ、その日、家に帰って、2人の息子をギュッと抱き締めた。

僕には息子が2人いる。
6歳と4歳の息子だ。
そう。
あの日亡くなった、女性の弟さんや妹さんとそう変わらない。

6歳の息子は、今日も元気に小学校へ登校した。
きっと、亡くなった弟さんも、こんなふう小学校に行くはずだったのだ。

そう思うと、ギュッと抱き締めずにはいられなかった。

現在、栃木や茨城では、50年に1度ともいわれる記録的な豪雨が降っている。
氾濫している川もあるらしい。
土砂崩れも…。

どうか、早く雨が収まって。
皆さんが無事でありますよう。

そう願わずにいられない。


7 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する