mixiユーザー(id:47361257)

2015年09月03日20:58

630 view

雉も鳴かずば撃たれまい

佐野氏デザインの広告に指摘
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3598030

例えば、FMなんかで音楽を聴いていると、
”あっ、この曲、どっかで聴いたことがある”
とか、
”この曲、昔のあのヒット曲や童謡にソックリだ”
とか、
”このアーティストとこのアーティスト、曲の感じが似ているなぁ”
ということに、よく出会す。

もちろん、中にはワザとサンプリングとして入れている曲もあるんだろうが、中にはまったくの新曲でオリジナル曲でもそういうことがよくある。

また、一昔前の日本のプロ野球のユニホームでもそうだ。
どれも、大リーグのユニホームにソックリで、なんだったらチーム名すら、向こうのチーム名を捩ったものだったりする。

小説の世界でもそう。
一つヒット作が出ると、よく似た設定の別作家が書いた、別の作品が出たりする。

これらは、パクリか、と言われれば、そうでないのだろう。
もし、パクリだったとしたら、佐野氏のように盗作だなんだのと問題視され、槍玉に挙げられるだろうから。

でも、模倣と言えば模倣だ。

じゃあ、一体何が違うんだろう。

この答えは、僕にもよくわからない。

特に冒頭の音楽なんか、素人の僕から見れば、誰かの曲のワンフレーズやサビをパクったようにしか思えない。
でも、プロから見れば、それは意図したわけでなく、たまたまリスペクトするアーティストや曲を何度も聴くうち、それが頭の中に残っていて、創作活動に少なからず影響を与えたんだと言うのかも知れない。

でも。
結果だけ見れば、それは模倣ではないのか。
いや、意図しなければ、それは模倣したことにならないのか。

佐野氏だって、そう。
本人が断じてパクったのではなく、たまたま自分の創作したものが他の作品に似ていただけと主張するなら、それはパクったことにならないのか。
でも、実際は、そのまま真似たような作品に見えても、本人が意図しないと言い張れば、それはパクったことにならない。

こんな風に考えてると、なんだが佐野氏を擁護しているような気分になってくる。

つまり、こうした創作活動というのは、或る程度模倣が自分の意図しない所で行われていて、誰かの作品に似たものが出来上がってしまうというのは、アーティスト同士の中では、暗黙の了解になっているのではないのか。
僕はそう思うのだ。

だから、あまりに露骨過ぎる模倣でない限り、わざわざそれを模倣と指摘することもない。
もし、そんな風にアーティスト同士が模倣だなんだと指摘し、糾弾し合うようになったら、それはきっと、アーティスト自身が自分で自分の首を締めるような行為になるんではないか、と。

佐野氏の場合、彼はオリンピックのエンブレムに自分の作品が選ばれることで目立ち過ぎた。
その上、意図したかどうかは別として、そのエンブレム自体が模倣であった。
こうなると、雉も鳴かずば撃たれまい、というヤツだ。
まあ、余りに模倣が露骨だったということもあるが、もし、エンブレムに選ばれていなければ、彼はここまで過去の作品を調べられなかったし、模倣だと指摘されることもなかったろう。
デザイナー生命を脅かされることもなかったんじゃないだろうか。

こうなると、次のエンブレムに選ばれるデザイナーは、戦々恐々だ。
もし、エンブレムに意図しない形で、模倣が指摘されるようなことがあったら。
もし、それで自分の作品を過去から洗いざらい調べられ、模倣が指摘されるような作品があったら。
もし、その所為で世間から糾弾され、自身のデザイナー生命を脅かされるようなことになったら。

そう考えると、果たしてコンペに参加するなんてリスキーなこと、出来るわけないじゃないか。

そう考えるデザイナーは居るんじゃないだろうか。
11 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する