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2015年09月03日13:51

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世界一放射線量が高い場所で暮らす200人の老婆たち なぜか避難者よりも長生きする彼女たちの信念とは


世界一放射線量が高い場所で暮らす200人の老婆たち なぜか避難者よりも長生きする彼女たちの信念とは

http://logmi.jp/87588

1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故では、約34万人が強制避難を命ぜられました。しかし今もなお、デッドゾーンと呼ばれる地域に住み続けている人々が200人もいます。彼・彼女らは一体何を思って、避難せずにそこに住み続けるのでしょうか? 今や70〜80代に近い彼女らは頑なに移住を拒みます。ほぼ全員が女性なのは、 放射線以外でもアルコールの大量摂取や喫煙などが原因で、男性の寿命が短いからです。そして、ある説によれば、移住した人に比べてチェルノブイリに残った人々のほうが長生きしているという調査結果も出ているのだとか。彼女らが語る「郷土愛」とはどのようなものなのでしょうか?(TEDGlobal 2013)

参照動画
Holly Morris: Why stay in Chernobyl? Because it's home.

デッド・ゾーンに住む200人のほとんどが女性の理由

ホーリー・モリス氏:3年前、私はチェルノブイリ原子力発電所の4号炉から90メートルほどの場所にいました。放射線量を測るガイガー・カウンターは狂ったように鳴り響き、原子炉に近づくと、更に音が大きくなり、耳をつんざくようになるほど、私もあわてたものでした。

私は史上最悪の原発事故の25年後を取材するためにそこにいました。私の表情からもわかるように、乗り気ではありませんでした。



というのも1986年に起きた原子力火災は11日間燃え続け、広島に投下された原爆の400倍もの放射線を放出したのです。「石棺」が4号炉を覆っていますが、27年前にあわてて建てたため、今や亀裂と錆びだらけで放射能が漏れています。

私は撮影をしていました。ただ早く仕事を終えてそこを立ち去りたい一心でした。ところがそんな時、遠方に目をやると農家から煙が立ち上っているのが見えました。こんな所に誰か住んでいるのでしょうか?

チェルノブイリの土壌も水も空気も、地球上で最も汚染されているのです。それに原子炉周辺は立ち入り禁止区域、デッド・ゾーンで、国境警備員に囲まれた、まるで核の警察国家なのです。



そこでは鳴り止まない線量計を常に携帯していなければなりませんし、政府の護衛が必要な上に、厳格な放射線規制や、絶え間ない被爆量検査がありました。



要するに、デッド・ゾーン付近に人間は住めるはずがないのです。が、彼女たちはそこに住んでいたのです。

信じがたいことに、およそ200人もの人がゾーンの中で暮らしていたのです。彼女たちは自主入植者と呼ばれています。



ほぼ全員が女性なのは、 放射線以外でもアルコールの大量摂取や喫煙などが原因で、男性の寿命が短いからです。事故当時は数十万人が避難しましたが、全員がその運命に従ったわけではありませんでした。

ゾーンに住む女性たちは今や70〜80才代で、政府にも、常識にも反発して先祖代々の故郷に戻った人々の最後の生き残りなのです。彼女たちのしたことは違法行為です。



ある女性は二度避難を促した兵士にこう言ったそうです。「私を打ち殺して墓に埋めてくれ。そうでなければ家に帰るよ」と。

では、なぜ彼女たちはそんなに汚染された土地に帰りたがるのでしょうか? 危険を知らないのか、あえて危険を無視するほど頭がおかしいのか、その両方か? 答えは、彼女たちの生き方、危険の捉え方が私たちとはまるで違うということです。

放射能は怖くない

チェルノブイリ周辺にはゴースト・ビレッジが点在しています。



そこは不気味で静かで、不思議な魅力があり、牧歌的ですが完全に汚染されています。その多くは事故直後に更地にされましたが、いくつかはこのような形で残されており、静寂の面影と悲劇が感じられます。住民がわずかにいる所もあります。



ひとりかふたりの「バブーシュカ」「バーバ」たち、つまりロシア語やウクライナ語でいう「おばあさん」です。6〜7人の住人がいる村もあります。ですからこのようにゾーンの人口構成は奇妙で、孤立し孤独な人の集落なのです。

遠くに見えた煙の登る煙突の方へ向かう途中、ハンナ・ザヴォロティナに出会いました。



彼女はカパヴァティ村の自称村長で、村民は8人です。私がわかりきった質問をすると彼女はこう答えました「放射能は怖くない。食料不足が怖い」。

考えてみれば、彼女たちは20世紀に起きた数々の悲劇を生き延びてきました。スターリンが1930年代に起こした大飢饉「ホロドモール」では数百万のウクライナ人が死にました。

40年代にはナチスの殺人、焼き討ち、レイプに直面したのです。彼女たちの多くが実際に強制労働のためにドイツへ送られました。

ですからソビエト統治から数十年後、チェルノブイリ原発事故が起きた時、見えない敵から逃げる気など起こらなかったのです。

そして村に戻って来ると、病死すると警告されましたが、故郷で5年だけ幸せに暮らすほうが、キエフ郊外の高層住宅に10年も押し込まれ、両親や子供の墓や、春の午後に舞うコウノトリから遠く離れるよりずっとましだと考えたのです。

彼女たちにとって環境汚染など災厄のうちには入らないのかもしれません。同じことは動物にも当てはまりました。

チェルノブイリでは事故後、野生の動物が増えつつある



野生のイノシシやオオヤマネコやヘラジカが大挙して戻ってきたのです。動物たちにとっては放射線による悪影響より、大規模な人口流出による良い面の方が大きかったのです。デッド・ゾーンは結果的に生命に満ちあふれています。

彼女たちには超人的な回復力があり、素直で現実的です。朝5時に起きて井戸から水をくみ上げるところから一日が始まり、その終わりには真夜中にイモを食い荒らすイノシシを追い払うためにバケツを棒で叩くのです。

唯一の楽しみは自家製の密造ウォッカです。また彼女たちは反骨精神に溢れています。「言われていた通り足は痛くなったけど、だから何だ?」



では彼女たちは健康なのでしょうか? 体を動かす生活には良い面がありますが、周囲は複雑かつ未知の部分の多い放射能で汚染されています。影響の判断はとても困難です。

この地域での健康に関する研究は矛盾しており、気がかりです。世界保健機関はチェルノブイリの事故に関連した死者数を4000人としています。グリーンピースなどの団体は数万人だと報告しています。

皆意見が一致している点は、甲状腺ガンの急増、強制移住させられた避難民がトラウマに苦しんでいることです。極度の不安や鬱、アルコール依存、失業、そしてもっと深刻なのは、社会組織の崩壊です。

多くの人と同じように、私はこれまで20から25回ほどの引っ越しを経験しています。家は一時的な拠り所に過ぎません。私の場合は土地よりも自分のパソコンのほうに深い絆を感じるほどです。そんな私たちには理解しにくいですが、田舎のバブーシュカたちにとって故郷は全宇宙であり、土地への愛着は明白です。

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ウクライナ出身の彼女たちはソビエト政権下で教育されロシアの詩人たちに親しんできたためか、そんな内容の格言をいつも口にしていました。「故郷から離れれば死んでしまう」「去った人の暮らしはひどく、悲しみながら死んでいく」「故郷は故郷。絶対に出て行かない」

単なる信念、ささやかな信念だと思うかも知れませんが、事実が含まれています。なぜなら、驚くべき真実があるからです。正式な研究ではありませんが、彼女たちが故郷に戻り、過去27年間も世界一放射線量が高い場所に住んできたのに、移住を受け入れた人々に比べて長生きなのです。ある推計では最高で10年も長生きです。



なぜそんなことが起こったのでしょうか? こう考えることができます。彼女たちの言葉の端々に見られる、先祖代々の土地とのつながりが寿命に影響を与えているかも知れません。世界にたったひとつしかない故郷の力が、苦しみを和らげるようです。故郷とコミュニティの力には、放射線ですら敵わないのです。



放射線とは関係なく、彼女たちは人生の終盤にあります。10年後にはゾーン内の住民はいなくなり、放射線に満ちた野生に戻って、たくさんの動物にあふれ、時折大胆ながらも面食らった科学者たちが訪れるでしょう。

知り合って3年が経ち、バブーシュカたちの人数は半分になりましたが、彼女たちの精神と存在は、パワフルで新しい考えと取り組み方を教えてくれます。リスクは変化すること、故郷とのつながりが変化を促すこと、そして活力の源は意志と自己決定にあるということです。ありがとうございました。
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