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2015年08月31日21:45

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【ネタバレ】アニメ「エルフェンリート」観ました【閲覧注意】

エルフェンリート

2004年 製作:アームス 岡本倫原作漫画のアニメ化
全12話+OVA1話


〜あらすじ〜

二角奇人(ディクロニウス)は、人間の突然変異体………頭から生えた角を持ち、第6感とも
言える特殊な能力と手を持っていた。
人類を淘汰する可能性をも秘めた彼らミュータントたちは、その危険な能力のため、
国家施設に隔離、研究されていた。
しかし、偶発的事故により、ディクロニウスの少女ルーシーは拘束を破り警備員らを殺戮。
研究所を逃げ出す。
が、その途中で記憶喪失となってしまう。
過去と記憶を無くしたルーシーは、鎌倉・由比が浜に流れ着くが、その浜辺でコウタとユカに
出会い、「にゅう」と名付けられ、コウタの住む楓荘に居候することになる……。


フォト

●視聴に当たっての前評判など

本作の評判曰く「グロい」「考えさせられた」など、厳めしい感想が多かったが、
可愛らしい絵柄を見るとどうも萌えアニメだった、という気がする。

私は色んなアニメ評が書かれているサイトを巡るのが好きなのだが、ここで「グロい」という言葉を良く眼にする。本作の書評(というにはあまりにも稚拙な感想集)には、この言葉で
一括りにして思考停止しているきらいが有った。
グロい、つまりはグロテスク表現とは、本来の意味で「奇怪」「醜怪」「不気味」と言う様な
意味合いなのだが、言葉だけが独り歩きし、意味合いがずれたまま認識されているようだ。
本作には血しぶきや四肢切断といった凄惨な描写が散見される。こういったジャンルを昔は
スプラッター表現と言ったのだが、これはアメリカの映画評論家が作った造語で、上記の様な
残酷映画を指すものだった。
こうした年代差による言葉の微々たる認識の違いもあり気になったのも一つだが、
精神的なホラー/恐怖とは別次元の物を体験したく、視聴を始める事にした。



●作中のテーマについて

人間であって人間でない、人格の壊れた悲劇の少女と言うのは古くから存在したプロットでも
あり、本作にも登場人物の少女の何人かはそのテーマを内包している。
感情移入のし易さは人それぞれだろうが、あらゆるメディアで席巻する設定なので、
これはもう今更と言うべきかもしれない。


「差別」というモノの描き方も本作のテーマの一つだろう。
人間社会に育ったが人では無い存在故、周囲から孤立し迫害を受ける。
そうした己のアイデンティティに直面し、自らの存在意義を問う。
それを描くには本作では余りに稚拙な描写が多く、テーマとして「差別」を扱うには些か視点が
偏り過ぎていた。

ヒロインの少女は過去に施設で育ち、頭に上記のツノ(ネコミミにしか見えないのだが)が
生えているため大人の職員や同施設の子供たちから浮いた存在だった。
年少にしては聡明で理解度も早く特異性が有ったが、そのことが周囲から更に孤立を余儀なく
されていた。周りの子供たちは彼女が可愛がっていた犬を目の前で殺し、ヒロインの能力が
発現するに至った原因を作る。

ここで描きたかったのは最後の一文に有ると思われ、この結論ありきで当事者の心理を歪めて
しまっているのが腑に落ちないところだった。
いくら子供とは言え、苛めている子が可愛がっていると言う理由だけで犬を殺すだろうか?
何が人を差別に走らせているか、差別する人はどういう行動を取る物なのか、差別される者の
心理を描きたいのであれば差別する側の心理も同等以上に描かなければ一方的で
歪曲された物になってしまうだろう。
上記の犬の件もそうだし、この作品ではヒロインが受ける周囲からの影響というモノが悉く
練り込まれていない。
子供たちが大人以上の鋭敏な感覚で、ヒロインを異物と認識しているのであれば、
そう至った過程がゴッソリと抜け落ちている。
両者の間に認識の違いが有ったのだろうことは解る。だが物語では初めから子供たちが
いじめを行っている場面からスタートしているため、劇中の子らがどういう結末を迎えたのか、
ヒロインに立った視点からしか描かれない為、悲劇性が薄いのだ。
他の生き物を殺した対価が己の命とするならば、それを執行したヒロインは何だのだという
話になってしまう。
イジメてた連中が惨殺されてスカッと爽やか、なんてメンタルに導くこと自体、差別の本質を
湾曲して誘導しているとしか思えなかった。


幼少期に訪れたお祭り会場で、ヒロインが好意を寄せていた主人公が他の女の子
(滞在していた親戚のいとこである別ヒロイン)とお祭りに来ていた現場を目撃し、裏切られたと
誤解。道端で茫然と立ち尽くす。そこに後ろからぶつかった男性が「邪魔だ」と邪険な態度に
出て、周囲の人も何故かこの男性に同調するような態度を取る。

正直意味不明。大人の男性が子供にぶつかったり、子供が倒れてしまった時に取る行動とは
あまりにもかけ離れてしまっている。周囲の人物の反応も同じだ。
ぶつかった男性を非難こそすれ、倒れた子供を悪しざまに卑下するなんてことは有り得ない。
つまり、ヒロインが「自分は差別されている、だからその報復を自分の能力を持って行う」と言う
事の大義名分にしたいがために、一般常識や感情論を歪めて描いてしまっているのだ。



●テーマへの回答

人間は本質的に「異端」である何者かを輪に入れず、淘汰する本能を持っていると言う事を
描きたいのであれば、演出論として極論に至る前段階が必要なのではないか。
差別は差別される側としては非常に理不尽なものだし、差別する側も理路整然とした
考えだけで及んでいるのではない。感情に根差した不当な物であることも承知していながら、
それでも行ってしまうという不条理さ。
自分は差別しているのではない、そう思われたくないというのも一つの心理ではあるし、
手を差し伸べる事も出来ないもどかしさも有る。
「被害者意識」や「差別の集団心理」というテーマも掲げた本作ではあるが、些か演出や
文芸において本筋から外れる点が「曰く、浅い」と言わざるを得ない点だろうか。



●作品の描き方

本作を萌えアニメとして捉えたのは、やはり不自然なキャラのセレクトだからだろうか。
主人公は過去の体験から「人に優しく」を学び、行動してきたお陰で人当たりが良く善人として
描かれている。だが、ヒロインの様な過酷な環境に置かれた者が惹かれる程、
主人公の優しさというものは拠り所となるのだろうか?

主人公が大学進学と同時に、親戚により今は廃業した元料亭の一軒家を住まいとして
提供される。ここにヒロインやいとこであった少女達が徐々に集い、曰く男性主人公一人に
対して周りは全部少女と言う様なハーレムが構築されるわけだ。
どういう経済力をしているのかさっぱり解らないし、こういったジャンルが好きな視聴者、
読者に向けた歪な設定だと言う事は一目瞭然だ。

犬や猫を拾って家で飼うのとは問題が全く違う。可哀そうだから放っておけない。
常にこのスタンスだから駆け込み寺状態になっている。
自分の持家という訳でも無い間借り人が独断で徐々にホームレスを増やして住まわせ、
本来の家主も黙認しているという気持ち悪さも相まって、最後まで肯定的に本作を
許容する事が出来なかった。

家庭内で再婚相手の父親から性的虐待を受けて家出した少女も、後に実母の承認を取って
ここに同居する事に成る辺り、ハーレムを描きたいからという理由だけのいいかげんさと
ご都合主義は目に余るものが有る。

一見高尚で重篤なテーマを扱っているにも関わらず、日常で描くものが凡百で軽薄な
萌えハーレムで有るならば、テーマの正しさを証明するものにバイアスが掛かってしまうと
いうものだ。
そうした萌えや無意味なエロシーンを廃し、もしくはバランス良く昇華させていれば
“グロ表現”があったとしてももう少し評価を受たと思うのが残念な事だと感じた。


最後に、本作の登場人物は悉く本音や真相を語らない。
何かを伝えて情報共有しようと言う段になっても、言い澱み、隠す。
勝手に「人に心配を掛けたくない」とか「真相を知ったらショックを受けるだろうから」といった、
独善的で自分本位の幼い思考が散見される。
伝えるべきことを遮断するのは「優しさ」とか「相手を慮る」とは言わない。
登場人物全員が立派な人格者では無いし、年相応と言ってしまえばそれまでだが、
この「誤解から来るすれ違い」がドラマの基本軸になってしまっているため、やきもきすると言う
感情以上に「何故この人物はここでこんな行動や言動に出るのだろうか」といった
不可解さや不信感すら多発させている。
テーマを消化したい為に結論ありきとなり、過程や因果関係を煮詰め切れていない、
そこに共感出来る部分を多く取らない作劇が歪さを感じせせる一つの要因なのだろう。
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