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2015年08月30日22:20

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成果

■「そもそも1日8時間労働自体が長い」に賛同の声 「週4で6時間勤務が理想」「人間は働き過ぎ」
(キャリコネ - 08月30日 12:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3590875

そもそも労働というものを「時間」で拘束して評価するという方式そのものにも疑問はあります。
本来の「労働」というのは、必要がある時に「働き」、必要が無ければ「働かない」というものです。
野生動物の行動は、これです。
ライオンが誰かに雇われて「今日は8時間狩りをしろ」ということはありません。
人類も群を作り始めた頃は同様でした。
やがて、群が社会に発展する中で、富の偏在が生じるようになり、持てる者が自分の仕事の肩代わりをしてもらったり、より多くの仕事をするために手伝ってもらう、という必要が生じて「労働」というものが生まれたのだろうと思います。
しかし、その時代も必要な結果と期間を示すだけで、一日の労働時間を拘束したものではありませんでした。
必要だったのは「成果」だからです。

現代の「労働」は、決められた時間、職場に「居なければならない」に置き換わっているように感じています。
逆に言えば、職場に8時間居座っていれば、成果に関係なく「働いた」と評価されることになるわけです。
もちろん、店舗や交通機関のように「求められる仕事量=拘束時間」になっている職種も多くあります。

ここで言われている「8時間労働なのか」「6時間労働なのか」という問題は、現在与えられている仕事量がどちらでこなせるものなのか、ということになると思います。
かつて、昭和の中期頃(昭和30年代から40年代頃)、優秀なセールスマンは与えられたノルマを毎月20日くらいでこなしていました。
ノルマを達成すれば、残りの10日くらいは「遊んで」暮らしていました。
ただ、その遊びの中で常に新しいセールスルートを開拓することを忘れてはいませんでした。
当時の会社は現代のように「仕事が無くても決められた時間は座っていろ!」ということもなく、与えたノルマを達成していればそうした行為を黙認していたところはありました。
もちろん、新人やセールス自体が苦手な人たちは期限ギリギリまでかかったり、期限内に達成出来ない人たちもいました。

つまり、労働というものは本来は「成果」によって評価されるべきものなのだろうと思います。
しかし、前述のとおり、人の労働能力はかなり大きな偏差があります。
それをそのまま評価しようとすれば今以上に大きな差になってしまうだろうと思われます。
そのため、一番遅い人のペースに合わせるために、早く行こうとする人たちを引き留めるための「時間拘束方式」にならざるを得ないところがあります。

「時間拘束」が何時間が適正なのか、というところは難しいものがあります。
北欧諸国では、日本よりも短い拘束時間になっています。
それは日本の働き方よりもさらに効率の良い働き方をしているためで、一人当たりの生産性を比較すると日本の方が低くなっています。
ですから、単純に長い短いではなく、8時間を7時間、6時間にするための「働き方(短い時間でも十分に成果は達成出来る)」を考える方が先決だと思います。

因みに、科学技術が発達し、機械が労働を代替する時代になったら、人間は苦役から解放されますが、収入を得る道も断たれます。
機械が仕事をすることによって得られる報酬は、機械の所有者にしか与えられないからです。
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