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2015年08月27日00:42

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放射線を少しずつ長期間にわたって浴び続ける「低線量被ばく」はなかなか症状が表れません。>が、

 もともと私は甲状腺の専門医で、信州大学に勤務していました。チェルノブイリの医療支援を始めたのは、事故から5年後の1991年。松本市に事務局があるNPO、日本チェルノブイリ連帯基金の活動に参加し、汚染地域の子どもたちの甲状腺がん検診などを行なうため、たびたびベラルーシ共和国を訪れました。その後、96年に大学を辞めてベラルーシに移り住むことを決意、首都ミンスクや汚染度の高いゴメリ州で甲状腺がんの手術など医療支援を続けました。ベラルーシには5年半ほど滞在したことになります。
 しかし、そのときの経験がまさか日本で生かされるとは思っていませんでした。日本はアメリカ、フランスに次ぐ3番目の原発大国。仮に事故が起きても対応できると言われていました。それが、福島第一原発事故によって、日本の原子力災害対策の未熟さが露呈したわけです。私たちは、常に被ばくの危険性と隣り合わせの日々を強いられるようになりました。
 被ばくによる人体への影響は、今も科学的に十分解明されていないことが多くあります。大量の放射線を一気に浴びる「高線量被ばく」は、すぐに皮膚がただれたり、潰瘍ができたりして被害が目に見えますが、放射線を少しずつ長期間にわたって浴び続ける「低線量被ばく」はなかなか症状が表れません。ICRP(国際放射線防護委員会)は、年間100ミリシーベルト以下の被ばくを低線量被ばくと定めていますが、症状が表れるまで数年かかるため、被ばくとの因果関係を調査しにくいのです。しかし、すでにチェルノブイリ被災地で起きた事実は、今後、私たちがとるべき行動を示しています。

   【略】

爆発事故が起きてほどなくして(注)、チェルノブイリ原発は「石棺」という対策がとられました。放射性物質を遮断するために、鉛やコンクリートで全体を覆ったのです。しかし、原発の30キロ圏内は今でも線量が高く、人が住むことができない居住禁止区域に指定されています。一応、除染作業はされているのですが、私から言わせれば"減染"に過ぎません。放射性物質は化学的に中和などできませんから、どんなに除染しても消えないのです。森林地帯に至っては、技術的に無理があるため、手をつけられないままの状態になっています。全ての木を切り倒して、根を抜いて、表土を全部除染することなど到底できませんからね。

   【略】

事故から5年目に甲状腺がんが一気に増えた。

 子どもたちの被ばくリスクを高めた要因は、チェルノブイリ事故直後の旧ソ連政府の対応も大きく関係しています。旧ソ連政府は、近隣の住民たちに事故の情報を一切与えませんでした。原子炉が爆発した86年4月26日の5日後、5月1日はメーデーで、国で一番大きなお祭りです。大人も子どもも、放射性物質が降り注いでいるとはまったく知らず、外に出てお祭りを楽しんでいました。
 その結果、他にも原因はありますが、子どもたちの甲状腺がんが増えてしまいました。これは、IAEA(国際原子力機関)が唯一認めているチェルノブイリ原発事故の内部被ばくによる健康被害です。IAEAは原発推進の組織ですから、なかなか被ばくの被害を認めません。科学的、統計学的な根拠がないというのです。しかし、子どもの甲状腺がんに関しては、事故後10年目に認めました。あまりに数が増えて、認めざるをえなかったのです。

   【略】

 経済的な問題はあるでしょうが、チェルノブイリのように、数年以上経って深刻な健康被害が出てからでは遅すぎます。国策として、学校単位で子どもたちを疎開させるべきだと思います。
 放射性物質は目に見えないし、臭いもしない。でも、空気や土壌、水までも汚染する本当にやっかいなものです。私たち日本人は、常に生活のなかに放射性物質がある状況になったことを、真正面から受け止めなくてはなりません。客観的事実をもとに、原子力災害を勉強して賢くなるしかないのです。そのための一つの材料として、チェルノブイリの経験が生かされることを願っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/sugenoya/


以上、マイミクさんの情報で。
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