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2015年08月26日19:03

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学校に行けない子。学校に行きたくない子。

「死ぬほどつらい子は学校を休んで図書館へいらっしゃい」 鎌倉市図書館の優しさに満ちたツイートが話題に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3584829

もう社会人になって20年近く経つ。
今だから告白するが、僕は学校に行くのがイヤでイヤで仕方ない時期があった。

あれは中学2年から3年くらいの2年間くらいだったろうか。

別に誰かにいじめられていた訳でもないし、先生が嫌いだった訳でもない。
勉強だって、出来る方ではなかったが、ついていけないという訳でもなかった。

それでも、学校に行くのが何となくイヤだったのだ。
朝起きてゴロゴロしていて、そのまま学校を休んで1日中ゴロゴロしていられたら幸せだろうなぁ、なあんて、そんな感じで学校に行くのがイヤだった。
サボりってヤツだ。

だから、親に風邪を引いたとか何とか、適当にウソを吐いて学校を休んだことも度々あった。
みんなが勉強している時間、自分がこうやって布団の中でゴロゴロして、テレビや本を読んでいる。
そう思うと幸せだったりした。

でも、今にして思うと、そうやって学校をズル休みした時、後で罪悪感で胸がチクチクした。

高校生になって、僕が真面目に学校に行くようになったのは、その罪悪感の所為だったような気がする。

よく学校なんてのは、イヤだったら行かなくても良いんだ。
学校なんて意味もないし、行く必要なんてない。
なあんて言う人が居るが、僕はそんなことはないと思う。

学校は勉強する所ではあるけれど、学ぶのはそればかりでない。
社会に出るまでの間に学ぶべき、集団生活の何たるかを学ぶ所でもある。
その集団の中では、自分にとって心地よい人ばかりではないし、心地よい事ばかりではない。
中には、自分にとってイヤなヤツも居るし、イヤな行事や出来事もある。

でも、そうした事すべてを引っ括めて集団の中で自分がどう生活していくか、というのが大変意味のあることだと思うのだ。

もし自分の気に入らない事があって、それが嫌だから、じゃあ学校に行かなくてもいい。
嫌なら学校なんか行く必要がないんだ、というのはちょっと違うと僕は思う。

こんなことを書くと、僕がイジメを肯定していると捉える人も居るかも知れない。
でもそれは違う。
学校内でのイジメ、特に被害者が自殺するようなイジメは単なるイジメではない。
あれはイジメという名を借りた、暴行であり、恐喝であり、殺人未遂だ。
立派な犯罪だ。

いくら集団生活といえども、実社会での犯罪行為が、学校生活だから許されるわけではないし、我慢すべきものではない。
そんな時は、学校に行かなくても良いし、助けてくれない学校ならば行く必要も価値もない。

鎌倉市図書館のTweetは、確かに優しい言葉が並んでいる。
その言葉に救われる人も居るかも知れない。

でも、図書館にはマンガもライトノベルもある。
一日中居ても、誰も何も言わない。
だから、学校が嫌なら図書館においで。

というのはどうなんだろう。

学校に行きたくない子は、何もイジメを受けている子ばかりではない。
中には、当時の僕のような子も居る。
自分の気に入らないこと、やりたくないことをしたくないが為に、学校に行くのが嫌な子だっている。

もし鎌倉市図書館が、そんな子のすべてを理由も訊かず、何も言わずにただ受け入れるのだとしたら、僕はそれは違うと思うし、本当に鎌倉市図書館のような逃げ場所を求めてやってくる子供を却って遠ざけるのではないか。

そう思うのだ。

最近、子供のことを慮るあまり、少し腫れ物に触るような扱いをしていないだろうか。
子供の機嫌を取って、それが子供の為のような風潮になっていないだろうか。

学校に行きたくても行けない子。
自殺したいくらい追い詰められている子は確かに居る。
でも、その受け皿にもし、鎌倉市図書館がなろうというなら、やはり、受け入れた子供が何故学校に行けないのか、せめてその訳は訊くべきだと思うのだ。

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