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2015年08月26日11:22

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女武将・井伊直虎<発掘したな。知る人ぞ知るか。

お家滅亡の危機を救った女武将・井伊直虎

2013.08.09
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連載:戦国武将のリストラ逆転物語





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イラスト・奈日恵太【拡大】


 戦国ファンなら、「徳川四天王」のひとり、井伊直政の名を知らない人はいないだろう。北条氏直との対陣で和睦交渉に手柄をあげ、小牧・長久手の戦では武田家の遺臣からなる「井伊の赤備え」を率いて武功をあげた勇猛な武将で、「井伊の赤鬼」の異名をとどろかせた。関ヶ原の戦いでは先鋒を務め、彦根藩35万石の藩祖でもある。

 そんな華々しい活躍を遂げた直政だが、彼の幼少時代に、井伊家は滅亡の危機に瀕(ひん)していた。そんな大ピンチに井伊家を守り抜き、直政へとバトンを渡した先代当主が直虎である。この武将が戦国時代でも特異な存在なのは、「女性」であったということだ。

 もともと直虎は父・井伊直盛の従兄弟にあたる井伊直親(直政の父)に嫁ぐ予定だったが、家臣の小野道高の策略によって直親の父・直満らが当主の今川義元に自害させられ、直親は信濃国に逃亡。直親はその逃亡先で匿ってくれた恩人の娘と結婚してしまう。

 こうして彼女は生涯独身を貫くことになるのだが、その後も父の直盛が桶狭間で戦死し、跡を継いだ直親も小野道好(道高の子)の中傷によって殺されるなど不幸が襲う。彼女は出家していたのだが、実は「次郎法師」という名で表向きには男と偽っていたのだ。僧が還俗した場合に男なら家督を継ぐこともできるが、尼では無理なので、もしもの時に備えて公には男ということにしていたのである。

 直親の死で家督を継ぐ男子がいなくなったことで、次郎法師が直虎と名を改め、井伊家の当主となった。直親には幼子がいたのだが、出家させて敵の目に届かぬようにしたのである。ところが、またも小野道好の裏切りで居城の井伊谷城を奪われてしまう。

 しかし、道好をよく思わない井伊谷三人衆と徳川家康の助けを借りて城の奪還に成功、以降は徳川氏へ仕えるようになり、長年の仇である小野道好をついに討ち果たす。実権を回復すると、出家させていた直親の子・直政を養子に迎えて英才教育を施し、戦国屈指の武将に育て上げたのである。

 現代でこそ、親の跡を継いで活躍する女性社長は珍しくないが、戦国時代ではあり得ないことだ。実際、直虎は公にはあくまで男として生き、死んでいったのだ。「直虎」などとあえて勇ましい名にしたのも、彼女の強い覚悟がしのばれる。正体を知るのも一部の重臣だけだったはずだ。公的にそれが明かされたのも江戸時代になって書かれた井伊家の伝記で初めて記されたものだ。

 今川の没落を予見し、直政を家康に引き合わせるなど、なかなか先見の明もあった。勇将として活躍した井伊直政の名声は、女を捨てて男として生き抜いた、強き女武将の存在なしではありえなかったことだろう。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130809/dms1308090730003-n1.htm

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