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2015年08月23日10:02

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美濃部少佐と芙蓉部隊

■【戦後70年】今甦る芙蓉部隊(上) 月明かりをも拒否し、暗闇での出撃を繰り返した忍者部隊「戦友の命を背負っていく」
(産経新聞 - 08月22日 11:38)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3578396

 米軍は日本の様な“なんちゃって夜間戦闘機”ではなく、レーダーを装備したモノホンの夜間戦闘機を持っており、芙蓉部隊の損害は特攻と大差なかったと言う。それでも特攻よりはと芙蓉部隊を希望する者は後を絶たなかったという、芙蓉部隊の訓練時に使われる発破に「お前らこれが出来ないと特攻に回されるぞ!」というものが有ったと言うが、これは当時のパイロットからも、特攻が忌み嫌われていた事の証左であろう。
 特攻第1号と言われる関少佐も、決して志願したわけではない。201空副長の玉井中佐から「特攻に行ってくれないか?」と打診されたのです。その(特攻隊の指揮を打診された)後の関大尉[当時]については、玉井中佐と、同行していた猪口力平中佐(1航艦首席参謀)で証言に食い違いがある。
 猪口中佐は「その場で熟考の後ぜひやらせて下さいと即答した」と言ってるが、玉井中佐は「一晩考えさせて下さい」と即答を避け、翌朝になって承諾したと証言している。
 どちらであったにせよ、特攻を承諾した関大尉であったが、関の談話を求めて部屋に入った共同通信の従軍記者小野田政に顔面を蒼白にして厳しい表情をしつつピストルを突きつけ、「お前はなんだ、こんなところへきてはいかん!」と怒鳴ったという。小野田が身分氏名を明かすとピストルを引っ込めたが、この異常な行動は異常な心的状況の中に身を置いていた為ではないかと言われている。関はその後小野田記者に、以下のように語ったと言う。

『日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある!僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう!?』

 これは私の私見ではあるが、そう思わないとやってられなかったのではなかろうか。閑話休題。関大尉はここで結構重要な証言をしてる、『命令とあらば止むを得まい』と。これは三つの可能性が考えられる、一つは関大尉への打診が形としては命令ではないが実質的な命令であった場合。もう一つは玉井中佐などが保身のために嘘の証言をしており、本当は最初から命令であったこともあり得るだろう。最後に、玉井中佐にそのような意図は無かったが、関大尉にはそのよう(命令同然)に受け取ってしまった可能性もありうる。

 確かに自主的に志願した人がいたこと自体は否定しないが、全員が全員そうであったわけではないのは、戦後の証言からも明らかと言えよう。だが一つだけはっきりしている事は、特攻は(下からの声が有ったのは事実であるが)海軍上層部が推し進めた海軍の基本作戦方針であったと。統率の外道とは、良く言ったものである。この一言に、特攻の実態が集約されていると言えるだろう。
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