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2015年08月22日21:03

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武器輸出 誰かが血を流す

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様々な方たちの思いを紹介させて頂いてますが、東さんの言葉が一番スッと入ってきました。私が今まで思ってきたこと、今も考えていることを全て言ってくれてます。

抜粋する箇所がないので全文載せます。
出来るだけ多くの方に読んで頂いて、自分のこととして考えてもらいたい文です。
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19日の道新夕刊「私の戦後70年」より
「武器輸出 誰かが血を流す」東ちづるさん

私は広島生まれなので、子供の頃から被爆者の話を聞かされ、惨劇の写真を見せられてきました。そのせいで眠れなくなったり、ご飯が食べられなくなったりした記憶があります。
当時は怖くてものすごく嫌だったけど、今は良かったと思っています。血を流すことを、単純に嫌だと思えるから。

大国の若者が血を流しているから、私たちも流さなきゃいけないという発想には、私はなりません。
「お宅の国の若者の血が流れないように協力させてください」というのが、本来の政治だと思います。

先日お会いした86歳の被爆者の男性は、今の日本を「まるで戦前の、あの頃のようだ」と話していました。
まさか戦争にはならないだろうと思っていたら、気付くと第二次大戦に入っていたということでした。ぞっとしました。

今の日本は、なぜそうなってしまったのでしょうか。原因の一つは教育にあると思います。
以前、訪問したドイツの高校では、第二次世界大戦を1年半かけて学んでいました。教科書も中世までと近代以降で2冊に分かれていました。
17歳の男の子に言われました。
「受験のために数字を覚えるのではなく、戦争の歴史を学び、なぜそうなったのか、どうすべきだったのか考えるべきだ」と。

さまざまな見方のある戦争の歴史を教えるのは難しいのではと思いましたが、ドイツの教師は
「真実を伝えるだけ。自分の考えは言わないので簡単だ」と話していました。
事実とともに、侵略という人もいれば自衛という人もいると教えればいいんですよね。

【テレビ番組「世界ウルルン滞在記」の収録で1999年、世界の紛争で傷ついた子供を治療するドイツ北部オーバーハウゼン市の民間施設「ドイツ国際平和村」を訪問。以来、講演で寄付を呼び掛けるなど、個人的に支援を続けている。】

最初に行った時は約150人の子供がいました。21世紀に入れば次第に減ると思っていたのに、今年6月に訪れた時は約190人でした。
相変わらず、地雷や銃によるけがで手足のない子が大勢いました。

最近はパレスチナ自治区ガザの子供も増え、劣化ウラン弾の影響か、がんや内臓疾患の子が目立つようになりました。一番多いのはやけど。
被爆者のように皮膚がよじれた子、顔の皮膚や鼻、唇のない子が何人もいました。

だから昨年、政府が武器輸出三原則を撤廃した時は裏切られた思いでした。武器の輸出で得られる豊かさなんて、私はいらない。
輸出先で誰かが傷付くという想像力が欠如してるんでしょうね。

ドイツの高校生は
「世界の紛争は自分たちの問題でもある」と話していました。止めることができていないからという意味です。
全ての人間は紛争に関わっているのに、そのことを何も考えない人もいます。

私たちは直接手を下していなくても、自分の国が武器を造ることを許してしまった。
紛争はどこか遠い国の話ではなく、同じ地球上で起きているのです。
自分は何ができるのか、具体的に考えてほしいですね。

■【戦後70年】死のうと思い死ねなかった元特攻隊員 生き残ったことに負い目を感じ生活〈三重発2〉
(産経新聞 - 08月22日 15:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3578663
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