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2015年08月19日12:00

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「アナキスト盆に帰らず」

 15日から17日まで、5年ぶりに福岡へ行った。大阪の関空から福岡空港まではスターラインで約1時間ほどだから新幹線の半分ほどの時間で済む。しかも料金が、日時や便などにもよるが、新幹線よりも安い。
 福岡空港には、東野大地と山本桜子の両君が、我々団の街宣者で迎えにきてくれた。街宣車なので当然ながら我々団のスローガンが書かれたパネルが車に貼り付けられ、「革命」や「テロ」その他の恐ろしい文字が踊っている。街宣車なので音楽を周りに流すことが出来るのだが、かかっていたのは勇壮な曲ではなく、シェーンベルク論を書いた私に合わせてくれたのかシェーンベルクの『浄夜』という物憂い曲であり、街宣車の表情と音楽のアンバランスさに、偶然に目にした人は不思議な気がしたかもしれない。
 我々団の本部では、9日から始まっていた思想偏差値を一気にアップするという思想強化合宿の最終日であり、全国から参加した京大や阪大、熊大その他の院生や学生、9名が熱心に取り組んでいた。参加者は往復の交通費だけでよく、滞在費や食費は全て無料であり、代わりに料理は交代でやることになるとのことだ。つい少し前に東京から戻った山本桜子は(その足で、福岡空港まで私を迎えに来てくれたのだが)、その疲れも何のその、台所で大きな鍋を取り出し、その日の夜の集いのための食事作りを開始した。リーフェンシュタール制作の『意志の勝利』の前半に、ニュルンベルクでの党大会に結集したナチス党員や突撃隊、親衛隊の食事を作る食料班の映像があったが、一人で奮闘する桜子は、それを彷彿させる感じなので訊いてみると、高校がカトリック系で、寮に入る期間があり、その時、料理担当になった者たちは、数百名分の料理を作ることがあり、その経験があるということだった。
 私は、思想合宿最終日に大東亜戦争と1968年闘争について話す役割を帯びており、彼らと自由に質疑応答するという形で、拙著『思想としてのファシズム━━「大東亜戦争」と1968』(彩流社)でも述べた話を適宜、展開した。
 夕方頃から、合宿参加者とは別の、そして30代から50代とやや年上の人たちが三々五々、集い始めた。九州の人たちとの交流会であり、広い部屋が人の姿で充満した。ここでも、革命や維新についての左右の思想や政治についてのいろんな話をしたが、上記の拙著を、すでに購入していた人も多く、彼、彼女たちからサインを求められ、20代の頃に出した『歴史からの黙示』(田畑書店)以来、久しぶりに自著にサインをした。
 前回の来福時も、交流会は大賑わいとなったが、今回もそれに負けないくらいであり、政治、思想についての話は、夜中を過ぎ、丑三つ時を過ぎ、明け方まで続いた。
 翌日は、合宿参加者が、それぞれ、外山君運転の街宣車により、博多駅その他、最寄りの駅まで送ってもらって帰途についた。私は、東野君の案で、私、山本桜子、東野大地の3人で、その方面ではよく知られた霊能スポットへ行く予定だったが、朝から大雨であり、霊能スポットは後日にし、本営の中で、3人で芸術談義に耽った。20世紀前半の現代芸術に続く芸術とは、どのようなものなのかということから、ダダイストの桜子が追跡するトリスタン・ツァラや、私が目下、論文を執筆中のエルンスト・ユンガーなどの話を、やはり延々と、やり続け、さらに東野、桜子の両名は、「芸術弾圧誌」という恐ろしい立場の『メインストリーム』という芸術系の媒体を出しているが、それをどのように続けるかということについても話続けた。
 三日目は、早朝から本営に居た外山君、桜子、私の3人で、最近の状況や、これからの展望から、「新しい教科書」ではなく、「新しすぎる教科書」の構想や、1970年の日本の新左翼に対する「ナショナリスト」だと批判する華青闘告発に対して、日本の新左翼は、血債主義等々ではなく、「だからどうなんだ」と居直れなかったことが問題だったということなどを話し、その合間に交流会に来なかったアナキストの若者に連絡を入れると、お盆で帰郷しているとのことだった。件のアナキストは何をたわけたことをしているのかと、笑いながら意見が一致し、桜子が「アナキスト盆に帰らず」という格言を残した。そして夕方、外山君運転の街宣車に、桜子、私と、やってきた東野君が乗り、新幹線の博多駅まで、再びシェーンベルクの音楽を流しながら送ってもらい、外山君は車中におり、東野、桜子の両君がホームまで送りに来てくれ、私は、新大阪駅行きの新幹線で帰途についたのだった。
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