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2015年08月18日23:33

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SONG TO SOUL『Les Champs-Élysées』Joe Dassin

8/12に放映されていたBS-TBSの番組『SONG TO SOUL』で、またもや自分が気になる曲が取り上げられていた。


*SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜|「オー・シャンゼリゼ」ジョー・ダッサン
http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_100.html
(BS-TBS)

『SONG TO SOUL』での内容は主に洋楽のミュージシャン、シンガーの代表曲1曲をテーマにその曲が完成されるまでを綴るヒストリー的形式の番組である。

番組で記念すべき100曲めの紹介は、恐らく誰もが聴いた事のある曲『オー・シャンゼリゼ』だった。
かつて幼少の頃に自分が聴いていたレコード(父親が気に入っていたのかイージーリスニングのようなヴォーカルのないレコードアルバムであった)の中の一曲であり、また陳腐な話だが例えばスーパーでのBGMで流れていたとか、かつて何処かで聴いており、そしてどことなくフランスの気品(!)を感じさせていたような、決して嫌いではないそんな曲である。


『その曲が完成されるまでを綴るヒストリー』と書いているが、『オー・シャンゼリゼ』に関しては完成されるまでの流れが重要ではなく、そしてオリジナルのミュージシャンにスポットが当たるのではない。
曲が誕生してから様々な人々が歌う事で、その曲が複数の人々に歌い繋げられていく度に曲そのものが密かに一人歩きをしていく曲なのだと番組を通じて知っていくのである。
余談ながら過去にこの番組でアニマルズの『朝日のあたる家』が紹介されたが、オリジナルはアメリカのブルースであって、しかもメロディがメジャー展開だったのにいつしかマイナーな転調へと変化し、アメリカからイギリスへ輸出された事でアニマルズのバージョンが世界で一番認知されるようになった。
と、この場合は代表的なグループが定まったのだが、『オー・シャンゼリゼ』は様々な歌手が歌った事でオリジナルの要素は薄まってしまい、やがて曲そのものが一人歩きをしていったのだと想定している。

それとこれは何処かで知った事だったが、『オー・シャンゼリゼ』というタイトルからフランス由来の歌なのだと思い込んでしまった人々もかなり多いはず、って・・・それは自分もそうなのであったが。


数年前には英語の歌詞の『ウォータールー・ロード』が原曲である事を知るのだが、だからと言って、その時は原曲の事を知ってみようと言う気にはならなかったのだ。


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『ウォータールー・ロード』

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『シャンゼリゼ』

ウォータールー・ロードと言う道路の名称をシャンゼリゼに変えただけなのか??
それはまさしくその通りであって、『オー・シャンゼリゼ』の作詞家であるピエール・ドラノエが『ウォータールー』と言うフレーズを嫌ってか、パリのシャンゼリゼ通りに差し換えた。
『ウォータールー』を忌み嫌うのはフランス人ならば『ウォータールー』とはナポレオン時代の頃フランスがヨーロッパ諸国と戦って大敗を喫した『ワーテルローの戦い』の英語読みだったから。
『ウォータールー』は『ワーテルローの戦い』に大勝して付けられた記念であった。




この番組を視聴する事で、少しだけぐらいなら知ってみるのも悪くはないなと感じたまであったが、初めてそれを知る事で『オー・シャンゼリゼ』とその誕生の流れに興味が湧いてしまった、つまり・・・様々な『オー・シャンゼリゼ』のバリエーションを知ってハマったのだった(^^;



「オー・シャンゼリゼ」は、フランスの人気歌手ジョー・ダッサンが歌った大ヒット曲。
1969年にフランスでリリースされた後、世界中に広まり、フランスを代表するポップ・ソングとして広く親しまれてきた。しかし、この曲は、初めからフランスの曲だったのではなく、もともとはイギリスのポップ・ソングだった。
原曲はイギリスのサイケデリックロック・バンド、ジェイソン・クレストが1968年にリリースしたもので、タイトルは「ウォータールー・ロード」という。この曲はどのように生まれ、どのような経緯を経てフランス語版の「オー・シャンゼリゼ」へと生まれ変わったのか。

番組では、「ウォータールー・ロード」の作者、マイク・ディーガン、そして、ジェイソン・クレストのヴォーカリストだったテリー・クラークを訪ね、当時の話を聞く。
また、「オー・シャンゼリゼ」のアレンジャーであるジャン・ムージを訪ね、フランス語版誕生の経緯を探る。
さらに、日本では最もよく親しまれたこの曲のカヴァー・アーティスト、ダニエル・ビダルも訪ね、この曲の思い出を語ってもらった。(SONG TO SOUL)




番組では『オー・シャンゼリゼ』の誕生秘話を観ていた。
最初にレコードとして世に出た順を追うと以下のようになっていた。


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Jason Crest『Waterloo Road』(1969)


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Joe Dassin『Les Champs-Élysées』(1969)


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Danièle Vidal『オー・シャンゼリゼ』(1970)


この流れは一体なんなのか?みたいな雰囲気が。
今の世の中としては『オー・シャンゼリゼ』は誰が歌ってヒットさせて有名になったか?ではなく、先に申したように密かに一人歩きをしていく曲なのだ。
個人的な事を述べるのなら、曲がヒットしていた頃は幼少の頃であり曲のメロディだけ聴いていたもので、上記にあげた人々の事は全く知らなかった。

さて、ここでは番組の主観を述べるのではなく番組での流れを最初から綴る方がまとめやすいので、そうなっている。
そのような訳でオリジナルというか原曲から聴いてみる事に。
しかしそれにしても、英国の歌だったのがフランスでヒットするだなんてどういう皮肉なんだろうかw







*【原曲】 オー・シャンゼリゼ (Waterloo Road)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5777065



『オー・シャンゼリゼ』の原曲は、意外と?『オー・シャンゼリゼ』と類似していた、いやいや・・・その後に手を加えていただけに過ぎないが、ちょっと新鮮な気分だった(^^;
ビートルズの『Yellow Submarine』っぽいシチュエーションもあり、どことなく『All you need is love』らしきコード進行にも聴こえたり・・・
コーラスの部分はクイーンのKiller Queenにヒントを与えたような様子。


サビに当たる『Down Waterloo Road』の歌詞を和訳すると様々なフレーズとなっており、曲の綺麗な仕上がりとすれば『ウォータールー通りを歩けば』が良いのかも知れないがグループのイメージからすると『ウォータールー通りをぶらつくと』が適切なのかも。


イギリスのサイケロック・バンド、ジェイソン・クレスト(Jason Crest)4枚目のシングル曲『ウォータールー・ロード(Waterloo Road)』は彼らのオリジナルではなく、プロデューサーが売れ線の曲を用意したのに、やっぱりヒットしなかった曰くの曲
『ウォータールー・ロード』の作曲者、マイク・ディーガンのアコギを爪弾きながら曲を作っていた頃の事を思い出すシーンは興味深かった。
CからC7、Am7へと至る転調とブルースのテイストを含ませていた事は、60年頃のイギリスのロックシーンにおけるブルースの背景を匂わせていたし、曲の終わりを締めるコード進行やフレーズなどは英国人ミュージシャンには定番の流れなのだろう。


番組ではジェイソン・クレストのヴォーカリストだったテリー・クラークにインタビューを行っており、レコーディングでは様々な試みとして実際に『ウォータールー・ロード』で歌ってみれば、と路上ボーカル録りも行った。
音に何か加えたいとサビの部分にはオルガンでの伴奏をクラリネットに変えると演奏者のテクニックが良かったのでそれを採用した。

しかし・・・サイケ調サウンドを主体のジェイソン・クレストには真逆のようなポップソングであったのだ、従って彼らにはこれを自分たちのものにしようと言う気持ちがなくであった。(ブルースのテイストは既に微塵にもなくであった)
ジェイソン・クレストはシングル5枚のみのリリース、活動の頃にアルバムはなかったようだった。
そしてジェイソン・クレストの活動は1969年で終止符を打っていた。



と、終わってしまったバンドの話から、やがて『Waterloo Road』は違う視点で息を吹き返す。
フランスの人気歌手ジョー・ダッサンがウォータールー・ロードを気に入って自身の3枚目のアルバムに収める運びとなったのだが、番組ではジョー・ダッサンがウォータールー・ロードを知ったのはどういうタイミングであったかは不明となっていた。


"1960年代の終わり頃の一時期、ロンドンにフランスの人気歌手ジョー・ダッサンが滞在していました。何かの機会に彼はJason Crestの「ウォータールー・ロード」を聞き、これが気に入り(フランスでリリースする)3枚目のアルバムに収めることにしました。"

"こうして"Down Waterloo road"は作詞家ピエール・デラノエによって"Aux Champs-Elysées(オー・シャンゼリゼ)"に生まれ変わったのでした。"
出典『オー・シャンゼリゼ』誕生秘話 あるサイケバンドの軌跡
http://www.eigo21.com/03/pops/ze26-2.htm(リンク切れ)

*実はイギリスの歌!「オー・シャンゼリゼ」誕生秘話が意外と雑だった
http://matome.naver.jp/odai/2137579527203603801
(NAVER まとめ)




フランスの人気歌手ジョー・ダッサン(本名:Joseph Ira Dassin)について調べてみた。
フランス人なのかと思いきや、実はフランス在住のアメリカ人と言う経歴、1960年代から1970年代にかけてフランス語の歌、所謂フレンチ・ポップスを多く歌っていた。
『ダッサン』という苗字もフランス語読みであって英語では『ダッシン』(父親は映画監督ジュールズ・ダッシン)
ジョー・ダッサンは1980年8月20日心臓発作のため死去している。(満41歳没)


番組ではジョー・ダッサン本人に話を伺う事は不可能であった。
1969年頃の映像かと察する本人出演のPVがあり、どんな感じの人物であったか、知る事が出来た。(便利な世の中だねぇ)





*011 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Joe Dassin - Les Champs Elysees
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5776417


ポートレートなどではダンディな様子であったが、映像で見るジョー・ダッサンは白いスーツを着て登場し、写真とは打って変わってハンサムだねぇと感心してしまった。
PVの写し方などはこれはフランス映画などのテクニックなのだろうか、間奏部分ではスタジオのような広い空間のみカメラをパンするのだが、ダッサンは一度カメラから姿を消して、歌詞が始まる頃に再び現れる
クロージングでは扉を開けてスタジオを出るのだが、『シャンゼリゼ、行ってくるわ』みたいなシチュエーションを感じさせる、面白かったですね。



番組ではオー・シャンゼリゼの編曲を行ったジャン・ムージに話を伺った。
ダッサンはレコードを聴いていたと察しているが、レコーディングに向けてジャン・ムージはレコードを聴いていなかった証言を得た。
ダッサンは当初、フォークギターでこの曲を演奏しており、そのためかフォークソング調だったと語る。
曲のコピーの再現に忠実ではなかったとして・・・デモを聞いた結果としてウォータールー・ロードのサビの後にもう一つ足りない部分を発見する。
それを補う事に成功し、ここで初めて『ウォータールー・ロード』は『オー・シャンゼリゼ』へと変化を告げた。

英国人が好む独特のフレーズには字余りのような印象を感じさせる、曲のクロージングにおいてはそこを省いてすっきりと終わらせたところが曲に光を与えるきっかけとなったのだ。
(当初のブルース調はすでに消え失せている)

とは言え、全てを改変させたのではなく残ったところもある訳で、サビ部分の歌詞のリフレインには当初からあったクラリネットの伴奏は生かされて、かえって『シャンソン』らしい雰囲気を醸し出している。
ジャン・ムージはジョー・ダッサンの事を偲んで『ポジティブな人がポジティブな歌を歌う、それが認められる最後の時代だった』と興味深いコメントを語った。



サビの読みの『オー・シャンゼリゼ』の『オー』は日本では感嘆詞のように捉えてしまうのだが、そこは日本語ではないので違うのである。
『aux Champs-Élysées』の『aux』はフランス語での『〜では』『シャンゼリゼ通りでは』
多くの日本人の歌手が『オー・シャンゼリゼ』をカバーする事で『おお、これがシャンゼリゼ通り』と解釈されてしまったパターンであろうか。
ところで、シャンゼリゼ通りの『Champs-Élysées』とは何なのか?
『Champs』は畑『élysées』の意味はエリーゼ、ギリシア神話のエーリュシオン(死後の楽園)から由来、畑と解釈されるよりも『エリゼの園』と言う意味となっている。


最後に日本で『オー・シャンゼリゼ』をヒットさせて定着させたのがフレンチポップスの歌手『ダニエル・ビダル』だったと言われる・・・って、ダニエル・ビダル知らなかったんですが






*オー・シャンゼリゼ - ダニエル・ビダル Les Champs-Elysees/Daniele Vidal
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11770229


歌が上手いと言う訳ではなく、どちらかと言うとアイドル的な要素で溢れる少女だった。
番組ではあれから数十年後のダニエル・ビダルにインタビューを行ったが、何と言うか、あまり年を取っていない可愛いおばあちゃんになっているね、これは誰も出来ない荒技(^^;
フランス以外にかつて日本でも長期間芸能活動を行っており、時折日本語を流暢に話すシーンも垣間見られた。
当時の日本で活動していた頃の写真(映像はなかった)を見る限り、可愛いかったですね、もしもその事を理解できる年齢だったのならファンになってしまいそうな、そんな印象だった。

この番組を視聴した事で、少しだけぐらいなら知ってみるのも悪くはないなと感じたまであったが、あの曲には何かの魔力があるはず、それだからか初めてそれらを知った事で『オー・シャンゼリゼ』とその誕生の流れに興味が湧いてしまい様々な『オー・シャンゼリゼ』のバリエーションを知ってハマってしまったのだった(^^;

長々となりました。
ここまでご覧いただきありがとうございました。

(おわり)


*補足:番組内で紹介された日本人がカバーした『オー・シャンゼリゼ』







*越路吹雪オー・シャンゼリゼ
https://www.youtube.com/watch?v=R_jKtRS8CQU

越路吹雪と言うとエディット・ピアフの『愛の讃歌』を連想させるが、ここではシャンソンのレパートリーとして歌っているようでもあった。







*The Peanuts - Aux Champs-Élysées (オー・シャンゼリゼ)
https://www.youtube.com/watch?v=rPieHg98SKM

ザ・ピーナッツがカバーするオー・シャンゼリゼ、これは珍品である。
出だしのイントロが365歩のマーチっぽいのでうむ?と感じたが、バッキングのエレキがロックっぽくてカッコイイ(^^;







*南沙織 オーシャンゼリゼ
https://www.youtube.com/watch?v=a9XJfkQhtVE

僕の一つ上の世代の方々のアイドルだったシンシアが歌うオー・シャンゼリゼ
70年代初頭のアイドル歌手にはまだ洋楽カバーをレコーディングする事が普通だったのか。


*おまけ


フォト


日本で芸能活動を行っていた頃のダニエル・ビダルさん
まぁ!白タイツが可愛い(*^^*)








*あの人は今? ♪オー・シャンゼリゼ ダニエル・ビダル
https://www.youtube.com/watch?v=T2xSfve0Hl8


90年代らしき雰囲気のテレビ映像、今は亡き方々も見られるが
ダニエル・ビダルさん、変わっていないですね!(^^;
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