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2015年08月16日23:08

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八月十五日、私は

先日放送のNHK-BS1「八月十五日、私は」より

日野原重明、内海桂子、松本零士、黒柳徹子、村山富市、高倉健、花村えい子、海老名香葉子、山田洋次、ちばてつや
70年前の八月十五日を体験した上記の著名人。特に印象に残った方を紹介。動画は松本零士さんです。

【松本零士】
http://youtu.be/GTqwOOBF1S0
https://m.youtube.com/watch?v=GTqwOOBF1S0
陸軍航空隊で部隊長だった父、強さんは松本さんにとって憧れの存在でした。
しかし終戦後、戦地から戻ってきた父は再びパイロットにならないかという誘いを断り貧しい暮らしを続けました。

松本さんにはその理由が分かりませんでしたが、父が背負う戦争の重荷を目の当たりにします。

「部下を失ってるでしょう。おばさんが訪ねてきて、
『あなたは生きて帰られて、なぜせがれを連れて帰ってくれなかったんですか』と言われた時に、父が頭を下げて『すまん』と言ってるのを見たことがあるわけですよ。

どんなにつらい思いかです。
部下の大半を失って帰ってきているわけです。それは生涯父の胸の中にあったらしいんです。
しかし家族がいるから必死の思いで生きて帰ったわけですよね」

松本さんには忘れられない言葉がある。

リヤカーを引いていた父が通りすがりのアメリカ兵にバカにされた時のこと。
「私が一度『じゃあもう一回やってやっつけんといかん』とうっかり言ったことがあるんですよ、チビの時に。

そうしたら『ばかもの。そんなことを言うからこれだけ大勢の人の命と血が流れたんだ』と怒られました」

だから「人は生きるために生まれてきたんだ」とその思いがあるわけです。死ぬために生まれてくる者はいないと。
命とは生きるために生まれてくるもの。それが命なんです。

【黒柳徹子】
出征する兵士を見送る時に旗をふるとスルメを一本もらえた。初めて食べてあまりに美味しかったので、しょっちゅう行って何度もふった。

いま思い返すと(兵士に対して)何て罪深いことをしたんだろうと。戦争責任を感じる。やはりすべきではなかった。

「きょうもどこかで戦争をやっているでしょう。
子どもたちが逃げ惑っていると思うと本当につらいと思いますよ。

大人が引き起こすことなんでね、子どもたちはみな分からなくてもついていくんですから、それはかわいそうすぎますよね。
本当に戦争は全部やめてほしいっていつも思ってます。」

【山田洋次(満州で終戦を迎える)】
あのころ日本人は本当に威張ってたね。中国人に対して。僕たちの少年時代よ。
それを当たり前だと思ったよね。中国人は日本人に召し使いみたいなもんだって。

今考えたら本当にひどい差別意識を当時の日本人全員が皆もっていたことが怖いなと思うなぁ。
だから本当にね、他民族を侮蔑する。憎むということは間違ってるよね。
それが根底にあって結局戦争になったんだ、この国は。

【ちばてつや(満州で終戦を迎える)】
八月十五日を境に自分たちがいる所は自分たちが住む場所ではないと分かった。はっきり。ここはよその人たちの国だったんだ、ということが分かって。

引き揚げ船に乗るため250キロ先の港を目指した。当時6歳のちばさんにとって極限の状況でした。

そんな中で一家を救ってくれたのは父の同僚だった中国人。身の危険を顧みず家にかくまってくれたのです。

「国と国がいさかいとか、いろんな誤解があったりもめたりしますけど、庶民同士は結構友達なんですよ。友達だったり仲のいい優しい人だったり。
お互い人間同士うまくつきあっていきたいと思います。

今、時代ががらっと日本が変わりそうな気配がする。
人間ってどうしても忘れるっていうか繰り返してしまうんですよ。
また繰り返しそうな気配が今ちょっと感じるので私はとても怖いです。」

これらの体験談と絵をセットにした展覧会が各地で開かれているようですが、それを見た小学生の子を持つ母親の感想。
「考えられない。家族をバラバラにした戦争。もしそんなことがあったら本当に耐えられないですよね」

■安倍首相の式辞全文 戦没者追悼式
(朝日新聞デジタル - 08月15日 13:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3567720
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