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2015年08月16日20:43

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【132】 2015/8/16(日)大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15954 (写真入り記事)

日曜日は、基本的に無休で12時間以上働きます。勢いでやるので何とかやり切れますが、月曜日に疲れ切って起き上がれないこともあります。

私が勤める新宿福興教会は、2001年に大久保駅北口駅前のカラオケスナック「パラダイス」を会場に教会がスタートしました。他に、もう一箇所、西新宿の高層マンションの二箇所でスタートしましたが、時間借りの賃料の問題で折り合いがつかなかったので、こちらは数回で終わってしまいました。

大久保駅前のカラオケスナックも、約3ヶ月で使えなくなってしまいました。ママさんが教会に又貸ししたということでママさんもろとも追い出されてしまいました。

私は、とても心を痛めました。

友人の教会の夕方の時間を借りたりしながら、今の場所に最終的に移ることができました。

追い出された時に私が取った態度を見ていたママさんは、後日、今の教会堂に来られ、聖書勉強をして洗礼を受けられました。現在は、東北に引越しをして、信仰を持ちながら生活をされて、東京に来られた時には、教会に顔を出されます。

心を痛めましたが、イエスさまと出会うことができて良かったなーと思います。

カラオケスナックで教会をスタートした時から、礼拝は朝と夕方の2回行っていました。

朝の礼拝が終わると、スナックのテーブルと席を使ってみんなで食事をしました。食事が終わるとみなさんが帰られますので、店を閉めて、約1〜2時間昼寝をしました。その昼寝が気持ちよかったことを思い出します。

しかし、昼寝をして起きた後は、テンションが下がってしまうので、礼拝開始1時間前に起きて、大久保駅前でチラシを配りながら伝道をしました。

最近は、どうしても疲れた時には昼寝をしますが、教会員の相談や聖書勉強会をしたり、外に出て行ってチラシを配ったり、伝道をしに行きます。

今日は、お盆休みで休んだ人が何人かいましたが、いつも来られない人も来られてたくさんの人で礼拝堂が満ちました。

お昼の時間に、交流会(交わり会)を持ちました。

うちの教会は本当に楽しいです。

政治的に左寄りの人ももちろんいますが、現役自衛官の人は完全に右寄りです。そして、中道の人もいます。その全員が社会問題や政治について意見交換をしたらどうなるでしょう。

私は、ひとつのルールを設けています。「アウグスティヌス」の言葉で私の「座右の銘」でもありますが、

「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」というルールです。

大きなことは、聖書が明確に語っている内容に関してです。例えば、「イエスは主、我らの救い主」ということに関しては、全員が「アーメン!」と言えます。

「大きなことでは一致を」です。

小さいことは、聖書が明確に語っていない内容に関してです。

日常の雑多な問題、白黒つけ難いグレーゾンに関して、そして、社会問題や政治に関してです。

「小さなことでは自由を」です。

そして、「すべてのことに愛を」です。

教会で社会問題を語り合っても、政治的な意見を述べ合っても、それぞれの意見や考えが尊重され、自由に述べられるようにしています。

1人の教会員の方は、「以前通っていた教会で、政治運動の署名をさせられたり、ある思想を強要されて、心が傷ついた経験があります」と話されました。

教会が、日常の雑多な問題、白黒つけ難いグレーゾンに関して、社会問題や政治に関して自由を持てたら、今より居心地が良くなるはずです。

夕方まで、政治的中道の立場の人の心の内を聞かせてもらいました。

社会問題よりも、今目の前にいる人との関係の方が大切なので、「中道を保っています」と言われました。考え方が右寄りになると左寄りの人の意見を聞き、考えが左よりになると右寄りの人の意見を聞いて、バランスを保っているそうです。

「なるほどなぁ」と思いました。

夕方の礼拝の後には、「人を裁くこと」について、「グレーゾーンの問題」について、「寛容さ」について話し合いました。

聖書は、「人を裁いてはいけません」と語ります。

ある時、明確に聖書が罪であると語る問題を持っている人が教会に来られました。私は、そのことは神様を悲しませることなので、「悔い改めましょう」と勧めました。

そうしたら、「聖書には、『裁いてはいけません』と書いてありますよ。だから裁かないで下さい!」と言われました。

私は、「裁いてはいけないのは、人の有様やグレーゾンに関してです。聖書が黒白はっきり語っていることに関しては別ですよ」と語りました。

その言葉を通して、その人の人生が変わり、今は神を愛し、神を第一にする人生を歩んでいます。

最後に、寛容について話し合いました。その方は、すぐに人を判断し、そのことで人間関係が窮屈になって苦しんでいると言われました。

そこで、「寛容とは、すぐに判決を下さず、判断しないことです」と語りました。

今の世の中は、すぐに人を判断します。少し前まで尊敬されていた政治家が、あるひとつの失敗で、「あの政治家には失望した!」と言います。

これはひとつの例えですが、その政治家が10年後には汚職で失脚させられているかも知れませんが、総理大臣になっているかも知れません。

人を、すぐに判断しないということは、聖書が教える寛容です。

なぜ寛容になれるのでしょうか?

神様が私たちに寛容であられたからです。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(第二ペテロ3:9)

もし神の忍耐が切れたとしたら、すぐに神の裁きが下って、私たちはたちどころに滅ぼされてしまいます。

さらに、神の忍耐は、すぐに裁かないだけではなく、人間を裁く代わりに、イエス・キリストを十字架の上で裁かれました。身代わりの死によって、キリストを信じる者に例外なく赦しといやしを与えて下さいます。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(第一ペテロ2:24)

私たちが神から赦されたように、人を赦し、寛容でありたいものです。そこに本当の自由があります。

自分は赦されているのに、人に厳しく生きると、自分の首を絞めることになり、赦されているにもかかわらず、赦されてないかのような罪責感に苦しむことになります。

「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」を持って歩んでいきたいものです。

1日お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。

おやすみなさい。
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