mixiユーザー(id:4256938)

2015年08月16日15:09

423 view

北海道の空襲

フォト
フォト


長い間、北海道の空襲被害は大したことないと思ってました。
でも実は2916人も亡くなってます。
この人たちそれぞれの人生があったことを思えば、大したことないとはとても言えませんね。

日本全土で戦争し、標的だったのだと認識させられる真実です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

2日の道新「はなし 抄」より一部抜粋。
北海道空襲を調査する文筆家 菊地慶一さん

70年前の7月14、15日、北海道で空襲がありました。
当時の新聞で「被害軽微」と報じられたように、軍は正しい被害を伝えませんでした。
2916人の死亡が分かりましたが、300人ぐらいが氏名不詳です。埋れている死がたくさんあります。

札幌の空襲被害は少なく、あれだけの人口がいても犠牲者は丘珠の農家の1人だけでした。
一方で十勝管内本別町は40人の死者が出ています。当時、本別上空で雲が開けていたので攻撃したと考えられます。

というのは、飛行機がミサイルを積んだまま帰還すると操縦ミスでぶつかった場合、大爆発が起きます。
だから使い切って帰らないといけません。雲がない場所があれば、やみくもに落としたのでは、と推測できます。

このように臨機応変の攻撃を受けたのが北海道空襲の特徴です。その典型的なのが民家がぽつんぽつんとしかなかった石狩と望来の空襲でなかったかと思います。

亡くなった人のうち228人が15歳以下の子どもでした。
当時あった道南の砂原町という町では、駅近くで列車が空襲にやられました。
列車内でランドセルを背負った男の子が1人、棒だらを握ったまま血を流して死んでいたという記録があります。

もう一つ、忘れてならないのは、戦時中は特高が世論を統制していたことです。
東京大空襲で被害に遭い、縁者を頼って釧路にやってきた人が、東京で見た惨劇を近所の人に話しただけで「国民を動揺させる。虚偽を話すな」と特高が捕まえに来たと聞いたことがあります。

時代が時代なら、この講演の参加者も、帰りに特高が後をつけて身辺調査をするでしょう。戦争するとは、そういうことなんですね。

北海道空襲では道も国もきちんと被害調査をしなかった。しかし、歴史は必ず振り返らないといけません。
進むべき道が分からない時は、後ろを振り返ると未来が見えてくる。私はそう信じています。

■3閣僚が靖国神社参拝 安倍首相は玉串料奉納
(朝日新聞デジタル - 08月15日 10:06)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3567454
1 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する