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2015年08月15日09:05

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さっぱりわからんというのは、村山が耄碌(モウロク)しているのか、初めから理解力がないかだ。ナチス安倍晋三は、ナチスの本質を露呈しているのだ。

■村山元首相、安倍談話を痛烈批判「さっぱりわからん」
(朝日新聞デジタル - 08月15日 04:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3567173

●【さっぱりわからんというのは、村山が耄碌(モウロク)しているのか、初めから理解力がないかだ。ナチス安倍晋三は、ナチスの本質を露呈しているのだ。】

ナチスの本質とは、言葉を逆に使うことだ。

ナチスが平和といえば、戦争だ。
ナチスが自由といえば、自由剥奪だ。
ナチスがdemocracyと言えば、ファシズムだ。

日本のみならず、中国、韓国、米国、その他、世界のすべての人民は、
米国というナチス、安倍晋三というナチス、世界各国にいるナチスの「ナチスたる条件」をこの演説から理解すべき。

ナチスの本質とは、言葉を逆に使うことだ。

もし、中国や韓国が、キーワードがあったといって、安倍晋三の談話を少しでも評価したなら、
中国、韓国自身が、れっきとした、ナチスの要素を持って存在していることを、中国人民、韓国人民は悟らねばならない。
問題はキーワードという言葉の有無ではない。キーワードの正しい言葉の意味を、正しい人間が使っているかだ。
正しいことは、誰が言っても正しいのではない。
正しくない奴が正しいことを言っても正しくないのだ。
ナチスが正しいことを言っても正しくないのだ。
ナチスの本質とは、言葉を逆に使うことだ。

すなわち、問題は、安倍晋三が正しい奴であるかどうかだ。


●【ナチス安倍晋三が正しい奴か?

談話を聴かなければわからない?それでは本末転倒だ。すでにナチスの目くらましに引っかかっている。】

ナチス安倍晋三が正しい奴か?こんなこと初めからわかっているではないか!

ところが、正しい言葉を言っているかどうかで、判断しようとしているのが、メディアである。
さかんにキーワードを問題にしている。
だが、それは、間違いなのだ。
正しくない奴が正しいことを言っても正しくはないのだ。

ナチス晋三が正しくない奴であることは、もう十二分に判っているではないか!
【ナチス安倍晋三が正しい奴か、正しくない奴であるか】を問題にせず、
【ナチス安倍晋三の発した言葉に正しい言葉があるかどうか、正しい言葉があれば、正しい奴だ】という視点こそが、もうすでにデタラメなのだ。



●【米国は、もとより晋三の演説を評価している。当然だ。米国が書かせているのだから。検閲しているのだから。傀儡政権安倍晋三は、米国の傀儡だ。人形だ。】

だから、日米ガイドライン2+2の路線そのものの体現をナチス安倍晋三はこの演説で謳っている。
米国が立てた世界戦略に従って日本は奴隷軍としてこき使われる消耗品であるという、日米ガイドライン2+2の路線そのものの体現をナチス安倍晋三はこの演説で謳っている。



●【ナチスのナチスたる条件は、「言語の破壊」をすること。
言葉を破壊し、「言葉を反対の意味に使う」こと。】

ナチスが、平和と言えば、平和はない。戦争をするということだ。

ナチスが、反省と言えば、反省はない。

ナチスの生みの親は、独占資本だ。「資本の回転運動」がナチスを生み出し、支えている。

そもそも、利潤追求を至上とする「独占資本の回転運動」「銀行資本の回転運動」というものに、
倫理も反省も介在する余地はない。人間じゃないのだから。

利潤追求をする「独占資本の回転運動」「銀行資本の回転運動」というものは、
無機質な、物理的な運動、天体運動にほかならない。
人間の心など、介在する余地はない。

人間の倫理も、人間の反省も、物理的な運動、天体運動には実在し得ないのだ。

そんな、「独占資本の回転運動」が生み出し、支えているナチスに、ナチスの言葉に、「反省」の実体など存在し得ないのだ。

人間の脳みそを骨抜きにし、
思考力を剥奪するには、
未発達な人間の「知の仕組み」を徹底的に悪用するに限る。
ナチスはそれをする。

【言語であるがゆえの、のがれられない壁】、それを悪用するということだ。
これぞナチスの言語破壊だ。

反省とか、懺悔とか、お詫びとか、痛切とか、言うのは、これは、心の中に生まれる「価値」の問題だ。
こうした心の中に登場する価値判断は人間の情緒に由来する。
人間の情緒は、一つの絶対的な原則によって縛られている。

価値は、決して、事実から、論理的推論で、演繹されないのだ。
すなわち、
価値は、決して、事実に、論理的推論で、還元されないのだ。
すなわち、
【ある事実】から【ある価値】が論理的推論で証明されるということは100% ないのだ。

これが、価値と事実との壁だ。価値と事実は二元なのだ。

価値は情緒に由来する。情緒は人の数だけある。

ナチス安倍晋三が、どんなに情緒的な価値判断の言葉を用いても、
事実判断から、その情緒的価値判断を、論理的推論によって導出できない。
その情緒的価値判断を、事実判断に、論理的推論によって還元できない。
価値と事実は二元の要素なのだ。
にも拘わらず、さかんに、ナチス晋三は情緒的価値判断の言葉を並べ立てる。
そして最後は、情緒的価値判断の新語、造語で、しめくくる。だから日本は「積極的平和主義」という情緒的価値判断の道に突き進みますと。

この「積極的平和主義」という情緒的価値判断の言葉で、じゃあ、安倍晋三は、事実として何をするといっているのか?

安倍晋三は、行動として、何の行動をとるのか?

「戦争をする」といっているのだ。「独占資本の回転運動」の原理的な本質「利潤の再生産」に突き進むという事に対して、抵抗するのではなく、つきしたがうといっているのだ。それがナチス安倍晋三の言葉なき言葉だ。


(了)
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