今から70年前の1945年の34年後
1979年に私は生まれた
79年の我が国は
一年戦争即ちジオン独立戦争の戦時下
人は誤解なくわかり合えるようになる
かもしれない人類革新の可能性をみていた
一方で同79年
Qはカンボジア難民救済兵団に参戦した
翌80年の我が国は
一年戦争が終結するやいなや
人類全滅戦争に突入した戦時下
我々出来損ないの生物のその憎しみの心を
根絶やしにする為の可能性をみていた
一方で同80年
Qはジョン・レノン夭折を受けて急遽
イマジンによる追悼作戦を決行した
それから5年後の85年
U.C.暦では87年にあたるこの年
地球の重力に魂を引かれた人間たちの戦時下
人は刻の涙をみすぎて憤慨すると精神崩壊する
可能性をみていた
一方でQは
1億人の飢餓を救う人類史上最大の作戦
ライヴ・エイドに参戦した
毎年毎年性懲りもなくですが
今年も召喚するのだ鳳翼転生せよなのだ
まよわずいけよいけばわかるさ1・2・3
だーッ!!
> 博愛が叫ばれながら人が捨てられる場所。
> 一人一人の割り当ては、一握りの穀物。
> 茹でて粥にする水はない。水があっても、それを沸かす燃料はない。
> たいていは水も燃料もなく、穀物があるだけだ。
> その穀物を食べる。カミソリの刃を食べるようなものだ。
> 硬い穀物は胃壁を切り裂く。穀物は内臓を剥ぎ取り、消化されないまま、
> 無駄に体内を通り抜ける。
> 暴動はない。懇願もない。あるのは恥だけ。
> 選ばれた者の恥、選ばれなかった者の恥、選んだ者の恥。
> この恥は我々全員のものだ。
> 砂漠を焼く太陽のように強烈な恥。
> 彼は第三世界が抱える負債が、どう生まれるのか、また国際通貨基金が
> 決して支払えない人々に厳しい条件を突きつけている現実を知った。
> この現実の中では、数百万人の最も貧しい子供達の健康や教育の予算が
> 削られるしかないのだ。
> 彼はまた国際貿易についても知った。複雑に入り組んだ規則、税金、
> 関税や割り当てにより、豊かな国が、貧しい国に援助するよりも
> はるかに多くの額を得ている事を。
> 1ドルの援助をしながら、不公平な貿易により2ドル得ているのだ。
> この不公平な条件を先進国の税制に置き換えると、低所得のシングル
> マザーが最高額の税金を支払い、一流企業の重役はほとんど何も支払
> わない結果になる。
> 問題の本質を知るにつれ、彼は怒りを募らせた。
> 第三世界の農夫が独自の産業の開発を妨害する、死のシステムとも
> いえる問題も知った。
> ココア・パウダーの輸出関税は小額だが、チョコレートに加工して
> 輸出すると、関税が20%にもなり、それはほとんど支払い不可能な
> 額になる。アフリカはココア・ビーンズの70%を生産しながら、
> チョコレートの生産では、驚いた事に僅か5%のシェアなのだ。
> 第三世界の農夫達は競争したら死んでしまう。
> 負債は膨らみ、飢えが蔓延し、人々が死んでいく。
> 大勢のアーティストが参加するライヴを一日丸ごと世界に向けて
> 放送するという事が、当時、技術的にいかに困難だったか、今では
> 理解しにくいだろう。
> 1985年当時は、携帯電話どころかファックスもほとんどない時代
> だったのだ。
> コンピュータは一般の人々には縁遠い存在で、E-Mailは未来の夢
> だった。
> それでも2大陸を結ぶコンサートは実現した。全世界へのテレビ
> 中継も準備ができた。コンコルドもスタンバイした。スペース・
> シャトルの宇宙飛行士達までもが出演準備してくれた。
> 当時、これがどういう事なのか誰も理解していなかったが、
> それは今、私達が生きているグローバルな世界を初めて暗示する
> ものだった。
> 世界を一つにした共通語はポップ・ミュージック。
> 変化を起こそうというメッセージのもと、音楽、文化、そして政治が
> 一つになった瞬間。
> その日、明らかな目的をもって、世界は一つになるために動きを
> 止めた。
> 今までに見た事もない大観衆。
> 世界中の15億以上の人々が、明白な慈善のために一つになったのだ。
> これは奇跡だった。
> 20年が経過した今でもライヴ・エイドを越えるイベントはない。
> 皆の人生の中のこの日を忘れないで欲しい。
> 大切な事だ。
> 人助けの事を考えた1日を。
> あの日、一度は僕達が勝ったという事を忘れないで欲しい。
> いい日だった。本当に素晴らしい1日だった。
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