8月8日(土)
5時過ぎには目覚めるが,二度寝をして起きだしたのは8時前.息子からカミさんにメール.9時から診察があり,同席するのなら病院に来て,退院手続きは10時,と.で,かみさんが行くこととなる.私は買ってきてもらったパンで朝食.洗濯をして,加藤武さんが亡くなって落ち込んでいる永さんと,それを見事にフォローする外山アナやラッキーさんのラジオを聴きつつ支度.9時半過ぎに家を出て会社へ.
弁当を買おうと思うが,弁当屋さん,長い夏休みにはいったらしい.おやじさんはそのへんの掃除をしているが.仕方なくコンビニで弁当やらお茶を買って出社.請求書の処理をする.
さっさとやればいいのに,だらだらやって4時過ぎに終了.少し歩きながら「パカパカ行進曲」を聴き,番組が終わるころバスに乗る.大崎へ.ゲートシティのJINSでサングラスを受け取り,先週受け取った老眼鏡の調整をお願いする.少し待たされるが,6月に家用の老眼鏡をつくったとき担当してくれたしゅっとしたおねえさんが検眼をしてくれた.なんかいい気分になるから単純である.1週間後にできるとのこと.
目黒川沿いを歩き,目黒不動の脇を抜けて帰路.帰宅すると息子がいた.
シャワーを浴びてビール.花火大会の音がよく聞こえるが,花火は見えず.東京湾のだろうか.夕食.魚の西京漬けなどを食べる.開いていた日本酒をロックで飲む.息子も普通に食べられよかった.ただし,入浴は長湯をしないように指示.
こちらは眠くなりぼんやりしているが,「ニュース7days」で安住アナが凄い声で登場.ひと笑いしてから床へ.
昨日の37.7℃と比べると,きょうはもう秋のよう.事実立秋だ.
8月9日(日)
長崎原爆忌である.
20年以上前,労組の活動として長崎での原水禁大会に参加したことがある.大会の閉会式に行ったのだが,いささかショーアップされすぎていて,しらけた.あれが前衛党の一般市民観のあらわれかな,と思った.その前日,マスコミ関係の労組の集会では,数年前に起きた雲仙岳取材での事故(火砕流に多くの人が巻き込まれた事件)についての検証が行なわれていた.その議論の意味は,あとあとになってやっとわかってきたのが恥ずかしい.
8月9日の朝,フィールドワークということで,街の中を地元の組合の方の案内で歩いた.すると,ほぼ辻々ごとに花が手向けられ,お線香が焚かれていた.この街では1945年8月9日,いたるところで,人が殺されたのだ.私は歴史的事実としてそのことを,知っていた.ただそれは,時間の流れの中の点としてだった.しかし亡くなった方々の家族の方たちにとっては,歴史的事実と突き放せることではない.その記憶とともに,いまもここで生活をされている.歴史的な事件と現在とがいかにつながっているか,強く感じた朝であった.
そしてそれは,数年後に訪ねた6月23日の沖縄でも強く感じることとなる.
もう少しうまい言い方があるとは思うが.
未明に水を飲んでさらに寝て,6時過ぎNHK第一のサエキケンゾウさんのコーナーを聴いて(クリストファー・クロスの「セイリング」は,たしかに夏の朝向きである),7時ごろ起床.洗濯をして,お茶を飲んで,「がっちりマンデー」観つつ朝食.
食後,しばし本を読み,新潮文庫の「昭和最後の日」読了.あのころ,仙台にいて卒論を書いていた.最後の清書をしていたころ,昭和天皇が危篤になり,亡くなった.その数日前には,例年通り初売りがあったっけ.
早めに散歩しようと思い立ち家を出る.「日曜天国」,安住さんダウンのため,もはやアナーキーな放送になっている.
別所坂をのぼり,恵比寿へ.アトレの有隣堂で本を2冊.1冊は息子へ,成田龍一先生の「戦後史入門」.目黒まで歩き,ドラッグストアへ行くが,ヘパリーゼのパックのがなく,足指さらさらクリームなどを買っただけでおしまい.区民センター図書館で予約資料を受け取り,裏道を通って帰宅.シャワー,昼食.
午後,クーラーを入れて新聞の整理,読書.色川先生の「戦後七〇年史」読了.いやはや,パワフルな方だ.日市連,最後の小田実との決別は悲しい.先生のほかの本にもでてきたが,進歩的と言うか,ラディカルと言うか,そういうタイプの文化人が集まって何かやるのって,大変そうだわ.たかが労働組合だって我儘な人,多いから.
午後は結局外出せず.息子,渡した「昭和最後の日」読んだというが,本当か? まあ,なにがあったか,細かなことはともかく流れを追うだけでもよかろう.
夕食を摂り,早めに入浴し,ルーマニアのイモトを観て,9時半には床へ.本を開くが目が疲れた.消灯して,ラジオを低くつけて寝る.
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