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2015年08月08日22:56

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【124】 2015/8/8(土) 祭りと平和」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15937 (写真入り記事)

今日は「立秋」、「秋が立つ」と書きますが、暦の上では今日から秋に入ります。今朝は、バイクで仕事に出かけましたが、気持ち涼しかったような気がします。

もちろん、まだまだ暑い日が続きますが、「立秋」と考えるだけで気持ちが楽になりますね。

残暑お見舞申し上げます。

今日と明日は、一番身近な無宗教の盆踊り大会です。この盆踊りの特徴は、複数の町会やPTAが主催するため、一切「的屋(てきや)」が入らないので、町の雰囲気がそのまま反映されていますし、「出店(でみせ)」の価格が1/2〜1/4くらいです。子供たちの財布に優しく、親としても安心です。

今年は、消防団や育成会のパトロールで参加しますが、地域の人たちと交流できる時なので、有意義です。

祭りの素晴らしいところは、誰ひとり除外されることなく、今日この町の住人になられた方もみんなで参加できることです。いいですね。

私は、聖書を読み、聖書を信じる観点から見たら、本当の祭りは、国籍、民族、国語、肌の色、価値観を越えて、みんなで神の御前に集まり、共に喜ぶことだと思います。

「わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。」(ローマ5:11)

「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ8:10)

「まつり」とは、

ま・・・真っ当な心で
つ・・・尽くして
り・・・了解を得る

心を尽くして、神を愛し、神を喜び、礼拝を捧げることで、神に受け入れられ、神からの了承という応答を得ることで、神との交わりを行うことが、まつりの本質だと思います。

もしそんなことが起こったとしたら、直ちに戦争は治まり、争いは消えます。

しかし、それとは程遠い現実があります。国と国以前に、国の中での争いがあり、家庭の中で争いがあり、隣人との関係に争いがあり、自分自身の中にも争いがあります。

原因は、神との平和が持てていないからです。

「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

自分自身を造られた神との平和がすべての平和の原点です。

どうしたら、神との平和を持てるでしょうか? 道、真理、いのちであるイエス・キリストを通して平和を得ることができます。

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)

私は、争いが嫌いです。平和主義です。もちろん、誰もがそう思っていると思います。しかし、現実には、私が平和的な対応をとっても、攻撃的に接してくることもあります。

私に非があるならば謝罪し、改めますが、相手の問題のこともあります。それでも、赦し、平和的に対応し、祝福を祈って、やがて、みんなで祭りができる日を夢見ています。

地域の祭りは、その一つの雛形だと思います。

明日は日曜日です。共に神の前で礼拝を捧げ、お祝いしたいと思います。

おやすみなさい。

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