漫画でやって良い嘘悪いうそがあるが、単純に考えて
「14Pまでにこうなってないといけないからここで怒る。」
というような心を提灯を畳む様に折りたたむマネはいかんであろう。
そんな事は20代の頃から分かっていたことであるんだが、
どう〜〜〜も人間追い込まれれば、
あるいは心に余裕がないとなかなか難しいのである。
とある歌舞伎役者が、舞台でトンボを切っていると
「150回目くらいから、トンボに感情を込められるようになってきたんです。」
との事。
要するに、形を追うことから心を入れられるように余裕ができてきたんであろう。
怒るトンボ、悲しいトンボ・・・・
やり始めはとにかくお客さんに見せて恥ずかしくないトンボを・・・と
とにかく形を追うのが精一杯な感じで、
漫画も同じようなもんで、「主人公登場」というシーンを
ただただカッコ良く・・・・面白く・・・・とかしか考えられなくなるとどう〜〜〜も
張りぼてで共感なんか少しも感じないマネキンみたいなキャラしか書けなくなる。
優れた映画なんか見ていると、
登場人物、背景、とにかく監督の心の中の情報量が桁違いで、
見ていて
「こんな細かいところまで神経を使っているのか・・・・・!?」
と、空恐ろしくなる。
そんなできの作品を見ていればこちらとて襟を正さんわけにはいかん。
「真実、その場所に立ったときにその描写で足りるんか?おお?」
とこちらにビシビシ無言で問いかけられているようだ。
おじさんは心の肺活量が足りないんでなかなか深い所まで行くのが大変だ。
プロに接しているといつも打ちのめされるところですねぇ。
ログインしてコメントを確認・投稿する