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2015年08月06日16:04

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自殺は殺人罪(犯罪)と紙一重

■北海道北見市長、自宅で自殺か 最近「疲れた」と漏らす
(朝日新聞デジタル - 08月06日 10:04)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3553018





一言「自殺」と聞くと何を想像するだろうか。

ある人間の生命が途絶えた(終わった)、残された者(家族)はどうなるのだろう、原因は何だったのだろうと。

おそらく、大抵の方が上記のようなことを考え嘆き悲しみ怒りショックを受けるのではないかと思う。

それは自然なことであるし、実際にそのような影響は発生する。




だが、私は今回「自殺」に関して少しアプローチを変えて論じてみる。

タイトルにも書いたが実は「自殺」は法律上、殺人罪(刑法199条)に該当する可能性がある。


刑法199条 殺人罪
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。


条文を文理解釈する限り「人」を殺した者であるから「人」というのは「自分と自分以外(他人)」である。
故に、自殺=「自分」を殺しても、条文上は殺人罪に該当する(法律用語で構成要件に該当するという)。


また、刑法199条が規定する「人」の客体(対象)は「他人」であるとしながらも、自殺が犯罪ではないというのは必ずしも自明のことではないということ(要するにはっきりとしないということ)が通説である。

さらに、日本では自殺を直接犯罪(条文)として規定していないが、他人の自殺に関与する行為を自殺幇助罪(202条)と規定しており、これに関して文句なく犯罪であると規定している。

このことから、自殺という行為自体に違法性が備わっていると解釈しても不思議ではないだろうし、自己または他人に関わらず自殺に関わることが違法であると解釈することもできる。

その根拠として、命という尊いものを人工的に終わらせ、その終期を早めてしまうことは「悪」であるとする考え方が通説となっているからだ。

ただし、実務上(刑罰を科すという観点)では自殺は処罰の対象とすることに馴染まないとする解釈が有力である(法律用語で可罰的ではないという)。

理由は簡単だ。

行為者を処罰しようにも行為者は既に亡くなっている。

正確には自殺という行為が成立する=処罰対象者が死亡している。

どちらか一方が欠けても自殺は成立しない。

つまり結果として自殺は犯罪になり得る行為だがその位置づけは曖昧なまま(グレーゾーン)ということだ。




他方、別の角度から自殺を考察してみると、自ら生きる権利(生きること)は日本国憲法を始めとし、様々な法律等で保障され肯定されている。

しかし、自ら死ぬ権利(死ぬこと)は法律等で保障されていないし肯定もされていない。

例外的に他人を殺す(生命を奪う)行為を行っても犯罪とされないケースはある(正当防衛・正当行為・緊急避難等)が、自分で自分を殺すことを明確に犯罪ではないとする根拠はないのである。

つまり、人間には生きる権利はあっても死ぬ権利はないと言えるだろう。


とはいえ、個人の意思は憲法13条によって最大限尊重されると規定されている(幸福追求権)。

死ぬ権利が基本的人権に含まれるか否かは議論の余地があるだろうが、自殺志願者等が死ぬことを憲法13条の規定する幸福追求権だと主観的に思い込んでいるのであれば、その意識を変えさせることは非常に難しい。

しかし、自殺志願者には生命は不可逆なもの(1度失ったら元には戻らないもの)、冒頭で述べた自殺が他人に与える影響をよく念頭に置きながら「自殺(命を絶つ)」ということを改めて意識してもらいたいと思う。
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