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2015年08月05日12:41

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復活とは違うよ!全然別モノだ。

幻の豪華列車「或る列車」復活 何度乗っても新たな発見あり
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3550947

復活?どこがだよ。車種もコンセプトも全く違っているじゃないか。同じ[或る列車]を名乗っていても全く別物でしかない。そもそも、元ネタになった車輛も[或る列車]って名前じゃなかったんだ。
(あれは後年当時の[鉄]氏がそう呼んだのがきっかけで後年伝わっただけでありあくまで俗称。正式名称ではない)

アレは本来当時の九州鉄道がアメリカに発注し輸入したものだ。自社の特別急行列車用と言う名目でね。しかし発注した時点で既に鉄道国有化法が成立し九州鉄道は国によって買い上げられることが決まっていた。その買取価格を釣り上げるためにわざと発注したのだ。
(折角発注した車両が無駄になったじゃないか!補償だ賠償だぁ…って、何とも意地汚い話だね)

アメリカのメーカーで作った車輛を日本に送るには当時も今も船便以外に手はない(今なら航空機って手もないではないがあれだの大きなものを運ぼうと思ったら簡単にはいかない。船で運ぶ方がトータルコストは遥かに安くつく)。太平洋を渡るから当然数か月はかかる。届いたときには九州鉄道は既に亡く、鉄道省の傘下に入っていた。

さて、折角届いた豪華な客車だが、鉄道省の規格には合わないし、一編成分しかないのでは使い辛い。規格の合わないものを増備するのもアホらしい。結局…操車場の片隅で雨曝しの日々を送った後事業用車(旅客や荷貨物の輸送には用いず、部内業務用に使う車輛)に改造され日陰者の生涯を終えたのだ(それでも確か昭和30年ごろまでは生き残っていた筈だから決して短命ではなかった)。

この車輛、当時の技術水準でフレームこそ鋼鉄製だが車体は木製、機関車に牽引sれることを前提とした客車だった。

今回21世紀に登場した「或る列車」はしかし、客車ではない。気動車(ディーゼルカー)だ。
[先代]の頃は旅客車自身に動力を持たせるのがまだ技術的に難しかった。電車・気動車の存在自体はあったが黎明期。電車は都市近郊輸送、気動車は地方の小規模輸送に細々と利用されるに過ぎなかったからいきおいSL牽引の客車にならざるを得なかった。

今は逆に、電車・気動車形態の方が小回りが利き機動性も高い。殊に折り返しが容易だ。また、九州地区は大回りの幹線系統こそ電化されているが支線区、特に観光資源の多い路線は非電化のものも多い。両方に直通するには気動車が有利だ。

車体構造も当然ながら現在では鋼製以外は考えられない(勿論普通鋼以外にアルミやステンレスもあるが、基本金属製だ。木製車体は規定上不可能だ。観光列車の中には車体に木材を使っているものがあるがあれも基本金属製の車体に装飾として付けてあるものだ)。

芸能界の襲名披露でもあるまいし、何も[或る列車]を名乗らなくても…とは思う。しかしまあ、先代の大看板を引き継いでも先代と同じ芸が出来る訳じゃない。寧ろ先代の名人芸に更に自分の精進をプラスした新しい芸風を確立してこその襲名であることと同列に解釈するなら、一概に否定することもないかも知れない。

ただ、毎度毎度感じるのだが…水戸岡氏のデザインって確かに[素人衆]にはウケが良い。しかしあれを日々メンテナンスする側はどう思うだろう?素人目にも掃除がしにくそうな内装は如何なものか?
乗客が喜びMaintenanceにも苦労の無い車輛は決して不可能ではない筈。氏程のデザイナーならそれが出来ない筈はなかろう。なお一層のご高配を期する。

この車輛見た目は一見思い切り代わっているけど中身は全国各地を走っている国鉄世代の気動車。そらま動力車乗務員には勝手知ったる扱いなれたクルマだからどこの線区に乗り入れても、たとえ関門トンネル超えて本州に行っても、或は瀬戸大橋渡って四国に行っても自力走行は可能だろう。

そして、おおよその乗り心地も何となく想像できる。乗り慣れているからね。キハ40系は(^^;)
たたんったったたん、たたんったったたん…21.3m車特有のあのリズム、大体わかるよ(^^;)
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