http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15926 (写真入り記事)
普通日本では、「あなたを愛しています」という言葉は恥ずかしくて使えない言葉です。その一つの要因は、仏教の影響があるかも知れません。
私の友人で、元僧侶で、今牧師をしている人がいます。愛について語り合った時、「仏教では愛は悪いものと考えるんですよ」と言われました。
仏教における「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」であり、欲望の一種であり、煩悩の一つです。そのため「愛」を否定し、代わりに「慈悲」を大切にするそうです。
でも、聖書やキリスト教が使う「愛」は、日本語で同じ言葉でも、意味や内容が違います。「愛」は執着心ではなく、自分を捨てて、相手が必要としているものを無条件で一方的に与える心と行為を指します。
聖書には、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書 15章 13節)と書かれています。
イエス・キリストが十字架の上で愛を現して下さいました。
そして、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と語られました。
愛とは、執着心ではなく、友のために命を捨てることです。その愛をキリストから受け取り、味わい、今度は、その愛で人を愛して行くなら、この日本はやがて天国に変わります。
人はそんな愛を求めています。
私が仮に、有能な牧師で、名説教家で、多くの人を導いているとします。あるいは、有能なリーダーで、素晴らしいリーダーシップを発揮し、国民の支持を得ているとします。
しかし、人は有能で立派な人より、自分に耳を傾け、愛してくれる人を求めています。カリスマ性より、自分に寄り添い、理解し、共に歩んでくれる人を望みます。
私の妻は、私が成功することを喜んでくれると思います。しかし、自分を愛し、大切にしてくれることを最も望むと思います。
どんなにお金があっても、権力があっても、私が妻を愛さなかったとしたら妻はうれしくないはずです。
でも、平凡で、足りないところがたくさんあっても、妻を愛する夫であったら妻は嬉しいと思います。
人を愛することは難しいですが、神の愛を受けて、その愛を味わった人なら、愛することができます。
私が神を愛し、妻を愛し、人を愛しているなら、愛された相手も幸せになるかも知れませんが、何より、愛している私本人が幸せなのです。
足りないところがたくさんありますが、心から人を愛する人でありたいと思います。
愛は世界を幸せにし、平和にし、救う力があります。愛を求めて今週生きていきませんか?
人を愛することは、決して恥ずかしいことではありません。すばらしい生き方です。
暑い日が続きます。夏バテ、熱中症、夏風邪などに気をつけて下さい。素晴らしい一週間でありますようにお祈りいたします。
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