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2015年08月02日22:32

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「大変です、先生!テレビやネットが私たちに命令してくるんです!!」

■渋谷で高校生デモ「安保法制反対」 SNS通じ集まる
(朝日新聞デジタル - 08月02日 20:31)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3546959

何時のころからだろう?
テレビやネットのニュースが『意見』や『批評』の名の元に相手(視聴者や閲覧者)に対して感情を押し付けてくるようになったのは…………

――この事件は許してはならない
――この子は可哀想
などなど。
本来ならその事実だけを言えば済む話なのに余計な個人的感情まで押し付けてくる。
最たるものはワイドショーだろう。
知りたくもない芸能人やアナウンサーの恋愛事情やら元検事やら元刑事やらを引き連れて推理ごっこをしてみたり…………
それに対して『司会者』とか『コメンテイター』と呼ばれる人たちがあれこれ感情的に物事を言う。
近年、テレビを視聴する人が減っているのは、そういう感情の押し付けが嫌な人が増えたためだと思う。

では、ネットはどうだろう?
実のところ、似たり寄ったりの部分がある。
ニュースなどで盛り上がっている中で敵意がなくても別の意見や見方をしただけで他のユーザーから猛反発を食らうことがある。
ネットの最大の利点は様々な意見を交換し得ることなのに。
そして、その意見に同調することが目的となり、より過激になってしまう。
そういう事を繰り返しているとどうなるか?
結局、狭い範囲でしか物事を見られなくなる。
ツイッターやラインなどは、その証拠である。

以上のことを踏まえ、今回の記事を見ると学生の深刻さが分かる。
彼らは生まれた時から上記のような狭い範囲の世界しか知らない。
本を読んだり大人と話すことより、塾に通って空き時間は『2ちゃんねる』などを見る。
だから、自分がどれだけ他人の感情に振り回されているか自覚できない。
知識だけはあっても自己が欠けている。
極左にしろ極右にしろ、これほど、操りやすい人間はそうはいないだろう。
鴨が葱を背負って来る様なものだ。

私は他人の感情に共感することが悪いとは言わないが、他人ばかりに流されると、いつの間にか自分では制御不能な嘘や実力以上の努力を求められてしまうということだ。
そうならないためには、自分で考える必要がある。
『自分で考える』というのは実は簡単そうで結構難しい。
何故なら、孤独になるからだ。
孤独は、自ら『仲間外れ』になることだ。
もう一度同じ場所に戻れる保証はない。
それどころか周囲から敵視される可能性すらある。
しかし、そうでしか『自分』は鍛えることが出来ない。

周囲の意見を聞くのも大事だが、その反対に何があって、何故争ったり反目をしているのかを考える。
自分の意見を持ち、行動する。
反対に周囲に流され言われるままに行動する。

人は常に選択を迫られているのだ。
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