「もし学問が、分化の結果到達した末端から、もとの根本に復帰するならば、分化によって得た点もなくなるかわりに、分化によって失った点もなくなるだろう。多岐亡羊の出来事に直面して楊朱先生が 沈思され楊朱の隣人が羊を見失ってしまったのは、道に分かれ道が多かったためであるが、学問も多方面に分化したために、 根本の生たのはこのことだったのだ。
これが「多岐亡羊」の説話の要旨であるが、楊朱が岐路を見て泣いたという『淮南子』の一文を、この話の要約と みなすならば、その意味するところは、ほぼ明らかであると言えよう。」
(上山春平『歴史と価値』岩波書店1972年刊、p5)
「列子」楊朱篇にあるような「楊子」が、前400〜350年頃にいたとすれば、楊子は老荘以上に、「道教の父、今まで知られなかった実の父」といっていい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/38938215.html
列子「多岐亡羊」の時代を楽に生きる知恵
PRESIDENT 2009年3月16日号
作家 守屋 淳=文
xtpage
人間、あとから振り返ると、ああ、あれが運命の分かれ道だったのか、と気づく瞬間がある。しかも残念ながら、その場では往々にして気づきにくい。そこに、人生の難しさの一つも、あるのだろう。
列子は、人生の岐路が持つ危うさを、こんな話で表現してみせた。
楊子の隣人が、飼っていた羊を取り逃がしてしまった。自分の一族郎党はもちろん、楊子の召使いまで借りて、隣人は捜索した。
「たかが羊を1匹逃がしただけなのに、どうしてこんな大勢で探すんだい」
と楊子が尋ねると、隣人はこう答えた。
「細かい分かれ道が多いんです」
やがて一同がもどり、「羊は見つかったのかい」と楊子が尋ねると、
「見失ってしまいました」
と隣人は答える。
「どうしてだい」
「細かい分かれ道のなかに、さらに細かい分かれ道があり、どこへ行ったのかわからなくなりました。だからもどってきたのです」
楊子は憮然とした表情で居住いを正し、ふさぎ込むこと数時間、一日中笑顔を見せなかった。
門人たちは、不思議がって尋ねた。
「羊は卑しい家畜にすぎず、先生のものでもありません。黙り込んで笑顔もお見せにならないのは、なぜなのでしょう」
楊子は答えなかった――
ここに出てくる楊子(本名は楊朱、子は先生の意味)は、戦国時代の大思想家の一人だった。
この問答は、心都子(しんとし)という弟子が、楊子の真意を探る流れとなり、こんな師匠の言葉を導き出している。
【略】
この問答に含まれている、次の一節から有名な「多岐亡羊(たきぼうよう)」という四字熟語が生まれている。
大きな道はわき道も多い。だから逃がした羊をいつのまにか失ってしまう。学問にもさまざまな道がある。だからいつのまにか生きる真理を見失ってしまう(大道は多岐なるを以って羊を亡い、学者は多方なるを以って生を喪う)。
では、現代のように変化が激しく、先の見通せない岐路ばかりの状況で、人はどう振る舞っていけばよいのだろう。
列子はこんな答えを示して見せる。
「生まれてきたら、なるようにまかせて、やりたいことをやったら、後は死ぬのを待つばかり。死にそうになったら、やはりなるようにまかせて、見極めをつけたら、ころっと逝くことだよ」
確かに、自分の選択がどんな結果になろうと、それに満足してしまえば、何の問題もなくなってしまう。
なりゆきまかせと自己満足、それは状況に抗う力を持たない弱者にとっては、一つの戦略に他ならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://president.jp/articles/-/1015?page=2
ログインしてコメントを確認・投稿する