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2015年07月20日05:01

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【地域】日航機事故から30年 遺族手記

亡き家族へ30年の思い 日航機事故、遺族41人が手記
2015年07月19日 18:58 朝日新聞デジタル



520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で30年となり、遺族41人の手記集「茜雲(あかねぐも)」が刊行された。亡き父と同じ年齢を迎える娘、娘を忘れないと誓う母――。悲しみと向き合い、空の安全を願う一人ひとりの思いが込められている。

 遺族でつくる「8・12連絡会」は事故翌年から毎年、遺族の手記を「茜雲」と題して主に会員向けの冊子にまとめてきた。節目の今年は、事故を知らない世代にも広く伝えようと一般向けの出版を決めた。

 若本千穂さん=神奈川県=は今年、50歳で亡くなった父と同じ年齢を迎える。この30年、息子は成長し、若本さんの母を支えて事故現場の群馬・御巣鷹に登るようになった。

 今年、部屋をかたづけた時、遺品のセーターを処分した。「もうあなたの香りはしないけど、とてもかび臭かったけど、最後に頰ずりして袋に入れました」。父親への感謝の思いをつづった。「30年経っても何も変わりません。お父さん。またいつか書きますね」

 当時24歳だった娘を失った波多野無漏子さん=東京都=は、初めて手記を寄せた。

 娘は事故機の客室乗務員だった。それゆえに事故後、乗客の遺族に会うのが憚(はばか)られ、慰霊行事に参加するのもつらい気持ちだったと打ち明けた。連絡会事務局長の美谷島(みやじま)邦子さん(68)から「気持ちは一つ、皆同じよ」と励まされ、毎年の行事に参加してきたという。「昨年夫を見送りましたが、なんとか30年目の命日を迎えることができそうです」

 表紙は深いオレンジ色。520人が最後に見たであろう夕焼け空の茜色だ。次男の健ちゃん(当時9)を失った美谷島さんは「あの日、私たちは大切な日常を断ち切られた。様々な形の悲しみが30年を経てどうなったのか、多くの人に共有してほしい」と話した。

 「茜雲」は1728円(税込み)。問い合わせは本の泉社(03・5800・8494)へ。(工藤隆治)
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もう30年になるのかぁ。
ヘリで救出された女の子の映像は忘れられないだろうなぁ。
昨日のテレビで、現場付近を日航社員が清掃するニュースを見た。
事故後に入社した社員は半数を超えるらしい。
事故後に産まれて、事故のことを伝え聞いた世代も多いと思う。
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