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2015年07月15日15:13

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【100】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15884 (写真入り記事)

今年の4月8日(水)にはじまった「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【1】」は、今日で100回を数えるようになりました。まずは、100日間連続で、毎日書き続けられたことを心から感謝したいと思います。

ことわざに、「千里の道も一歩から」という言葉があります。やがてこれが、200回、300回、500回、1000回、2000回、5000回、10000回・・・と続いていけたらいいなーと思います。

私は、普段あまり自分の日記を読み返すことはありません。しかし、時々、手書きの日記をつけていますが、読み返しては懐かしくなり、元気づけられます。それは、そのまま神様が私を守って下さったという歴史だからです。

「そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」(第一サムエル7:12)

以前は、自分が礼拝の中で語った説教を録音していたことがあります。それをラジオで放送するために、郵送でラジオ局に送っていました。間違った話をしていたとしたら大変なので、念のため、自分の説教を聞き返していました。

最初は、何となく恥ずかしくて、「嫌だなー」という気持ちがありましたが、聞いていると、なかなかどうして恵まれました。

少なくても、自分で説教を聞き直して、「嫌な説教だな、何てくだらないことを話しているんだろう。それに、声も好きになれないし、『えー』『あー』も言い過ぎだし、舌打ちをしたり、聞くに堪えない!」と思うような説教をしてはいけないと思います。

「あー、いい説教だ!」と心が喜びに溢れるくらいでないといけないと思います。それは、ナルシストであったり、単なる自画自賛ではなく、「聖書はすごい!」「神様は素晴らしい!」と感じられるようなものであってほしいものです。

自分で聞いて聞くに耐えないとしたら、それを聞かされている聴衆はかわいそうです。

しかし、もう一つ違うレベルの話をします。

もし、祈りを通して、豊かに聖霊が注がれていない状態で説教を語ったとしても、それは、語っている説教者本人は気分がいいかも知れませんが、聞く聴衆はそうではありません。

しかし、聖霊の油注ぎを頂いて語るならば、聞く聴衆は目に見えない神と出会い、心と体がいやされ、人生そのものが変えられていきます。

今日は、フランクリン・グラハム大会の昼食会で、30分間のプレゼンテーションをする予定になっていました。

朝から、何度も電話が入りました。今日父がいま入院している病院を退院して、違う病院に転院する予定ですが、「移動するのに手伝う人が必要だから来てほしい!」と母が言うのです。

私は、普段なら、昼食会をキャンセルして、父のもとに向かいますが、プログラムに自分の名前が入っていると、途端に優先順位が上がりますので、今日は仕事を優先しました。

私は母に、「12時25分から12時55分まで30分間話をするから、それが終わったらすぐにいくから待っててね」と言いますが、「12時半までに来てほしい!」と何度もいうのです。

「困ったなー!」と思いましたが、とにかく、「12時半にはいけないけど、14時半にはいけるから待っていて!」とだけ伝えて、神様にゆだねてから出かけました。

集会がはじまってからも、何度も公衆電話から電話が入りますが、出られないので、iPhoneの設定を飛行機の機内モードに切り替えました、それを「ON」にすると、Wi-Fi以外はすべて遮断されます。

神様の手にゆだねました。

2日前の昼食会には、ピンクのネクタイをしていったので、今日は、蛍光ブルーのネクタイでいきました。一番前に座っていたこともありますが、今日は、やたらと講師にいじられました。

いきなりマイクが回ってきて、「菅野先生、聖書を読んで下さい!」と頼まれたり、講演の内容をわかりやすく伝えるために、ちょっとしたスキッドをやるのに、いきなりサタン役の指名を受けました。

終わった後、「菅野先生は、いつも天使のように笑っていますのでサタンではないですけど・・・」と付け加えられましたが・・・、なぜかどこにいってもいじられ役になることが多いです。

PTAの中でも、いじるのが好きな人がいて、私をいじって楽しんでいた若いお母さんがいました。

話は戻りますが、極めつけは、「クリスチャンは、どうでもいいことにこだわるな!」という内容を語りながら、講師が私の目の前にきて、「例えば、『菅野先生のしている蛍光ブルーのネクタイの色は派手すぎるから、もっと地味な色にしなさい!』ということを、クソ真面目なクリスチャンはやりがちだけど、そういうことをするべきではありません!」という話に利用されました。

内心、「ネクタイを黄色にしようか? ピンクにしようか?」と鏡の前で迷い、妻に聞いてから選んできたのに・・・。

もし、教会にいって、そんなことを言われたら教会が嫌いになっちゃうだろうなーと考えました。

午前中の勉強会が終わり、昼食の時間になりました。庶民的なビュッフェ(バイキング)ですが、プレゼンテーションの時間が迫っているので、食事がのどを通りません。ダイエットには役立ったと思います。いつもの半分くらいしか食べられませんでした。

プレゼンテーションの持ち時間は30分ですが、約20分間のお話をしました。情熱的こめて話しましたが、どちらかというと、聴衆の反応が静かなので、20分しか話してないのに、1時間くらい話したように長く感じました。

お話を終えて降壇し、席に戻ろうと時計を見ると、まだ10分あることに気づきました。

しかし、神様は、「もう終わりにしなさい!」と心に語られたように感じました。

「神様、まだ持ち時間が10分ありますよ!」とお祈りすると、司会者が耳元で、「急に、事務局マネージャーの大井先生から一言ごあいさつして頂くことになりました」と伝えられました。

神様が言われることは間違いありません。

昼食会が終わり、聴衆は静かでしたが、それは一般的な聖霊派の集会に比べての話です。実際は、とても盛り上がりました。

集会が終わってからも、あちこちで写真を撮ったり、輪になって話し込んだりして、なかなか帰りたがらない人が多くいました。

お決まりの集合写真を一緒に撮りました。つかの間のホッとする時間を過ごし、自転車で3〜4分かけて帰宅しました。

帰宅してすぐに、車に乗って、「父の転院を手伝いにいこう!」と思いましたが、妻に電話が入って、「親切な看護師さんが手伝ってくれて、無事に転院できた」と連絡があったそうで、ホッとしました。

父のように、大腿骨の骨折で、手術は成功しても、その後、ばい菌が入って、妻の遠い親戚は、同じ大腿骨骨折が原因で亡くなった人がいます。また、年を取った人が大腿骨の骨折をすると、そのまま寝たきりになってしまうことも珍しくないそうです。

そんな状態で、転院するのに手伝う人がいなくて、また転倒して骨折したらどうしよう!?と、一抹の不安はありました。

しかし、病院を退院し、新しい病院に転院して入院するのに、誰も手伝ってくれる人がいない方が不自然です。私でも、目の前の人が困っていたら、喜んで手を貸します。

だから、神様にすべてをゆだねて、プレゼンテーションの仕事に出かけましたが、神様は、ちゃんと手伝ってくれる人を用意して、解決させてくれました。

どうぞ、父の左大腿骨骨折から一日も早く回復し、歩けるようになるようにお祈りをお願いします。

また、キリスト教関係の話になりますが、全日本リバイバルミッションの創立者の滝本明先生がガンにかかっています。神様のいやしをお祈りください。

「主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。」(詩篇41:3)

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、」(詩篇103:3)

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(第一ペテロ2:24)

午後からも素敵な時間をお過ごし下さい。
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