悲しい記事である。
少女達の事はもちろん、その少女達と特攻隊を同列に見ている人が多い。
特攻隊で死んでいった人達にも、そんな日記を書いている人達にも、
悲しい記事である。
すべての特攻隊員がそうだとは言わないが、
すべての特攻隊員は、少女たちのように無力にしたがったのか?
彼らは飛行機に乗る、それこそ学歴もあるエリート達だった。
彼らは少女たちのように無知だったのか?
特攻隊員と少女たちを比べて、どちらがどうこう言いたいわけではない。
特攻隊員たちと、少女たちは、違う状況ではなかったのか?
そう思わないで日記を書いている人達がいることが悲しい。
私は特攻隊員たちの日記を見たことがある。
彼らはすべて知っている。
彼らが特攻するという事が、どういうことなのか。
自らの無力と、残された国や人々の試練。
そして(あくまで私の勝手な感想ですが)
せめて彼らが残せる物を、歴史に刻もうとしていたように思います。
彼らの行動は狂気です。
しかし狂気の行動が歴史に刻まれたとき、
やがて人々は疑問に思うはずです。
なぜ彼らはそのような狂気に走ったのか?
(私は戦争の狂気を肯定するつもりはありませんが)
狂気の中、狂気を行う事で、後世の若者に伝えられるものもあります。
たとえ日本がなくなり、ほかの国になったとしても、
そこに日本人だった若者たちが、先人がなぜそのような狂気に走ったのか
なぜ、彼らがそのように行動しなければいけなかったのか
そんな疑問を持っていただければ、もし日本という国がなくなっても、
いつかまた、日本という国が復活する。
そんな希望しか持てず、そのようなメッセージしか残せられない。
そんな狂気の時代の中、彼らは彼らのできる生き方をしたのでは
ないのでしょうか?(あくまで私だけの感想ですが、そう思います)
個人的には、そんな狂気の時代だからこそ、
戦争は強く否定されなければいけない。そう思います。
しかし、特攻隊員たちが残そうとした、守ろうとした人々への思いが、
残そうとした意志が、このようにしか伝わらないとしたら、
それは悲しいことのように思う。
歴史とは、人の思いをつなぐ記録である。
先人が必死になってつないだ記録が、このような日記であるとしたら、
他の人の意見がどうこうというより、ただ私は悲しい。
悲しい記事である・・・
■少女たちは「爆弾」にされた 残虐化するボコ・ハラム
(朝日新聞デジタル - 07月09日 21:29)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3508680
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