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2015年07月04日12:12

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沖縄旅行 2015.06.27-30

今回の沖縄旅行は久しぶりの本島ということもあって、事前に沖縄の歴史を少し振り返ってから向かいました。
それもあってか、溝というか超えられない壁というか、そんな隔たりを感じました。

数々の世界遺産の陰に刻まれた壮絶な過去からもそうですが、現代の沖縄の人も(たぶん無意識に)使う”内地”という言葉がその最たる例です。

沖縄は元は独立した国。
それが、薩摩藩による侵攻を経て1872年の”琉球処分”によって琉球王国が琉球藩となり、1879年には沖縄県に。
沖縄の人たちの根底にあるのが、この琉球処分であり、この怒りと憤りが”内地”という表現に繋がっているように感じました。

先の大戦、沖縄の地上戦での日本側の死者数は188,136人。
うち沖縄出身者は122,228人、一般人は94,000人あまり。
戦後70年を経た今でも米軍基地が多数あることは、物質的な負担以上に精神的にも言い知れぬ負担があるのではないか。
これも”内地”という表現に繋がっているのでしょう。

そして、海からも。
沖縄の海は確かに美しいですが、本来はこんなものではないはず。
海岸にはサンゴが打ち上げられていますが、これはサンゴの死骸。人間で言えばお骨。

先の大戦では唯一の地上戦となり、戦後は内地の観光地として豊かな自然を踏みにじられて。
沖縄のダイビングショップなどのレジャー産業で働く人は県外の人が多数を占めます。
内地の人が沖縄の自然を利用して、内地の人相手にビジネスをする。
そう映っているのかも。

海からはサンゴが減り、その海の状況がイコール沖縄の人たちの内地に対する気持ちを表しているのかもしれません。

サンゴを増やすか、引き続きサンゴを減らし続けるか。
海からも沖縄と内地の問題を感じることができた気がします。

あとは、島唄/THE BOOMは日本版のゴスペルですね。
ゴスペルは神を崇める賛美歌ですが、日本は八百万の神を崇める国。
花、風、空、海などの自然を歌う島唄はゴスペルだなと。

沖縄を忘れず、沖縄をもっと知り、沖縄の行く末に注目し、沖縄にまた訪れようと思った今回の旅行でした。

”内地”という表現がなくなることはないかもしれませんが、なくなったなら、それは日本という国の方向が正しいことの証明になると思います。

フォト


*参考*

○クラクションを鳴らさない沖縄県民と普天間基地問題
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/060400015/

○今の日本なら「忘れられた巨人」と向き合える
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/062500009/

***

[戦後沖縄の主な歴史]

○1942年4月、サンフランシスコ講和条約発効、日本の主権回復、沖縄は依然米国統治下
○1945年9月、6歳女児が米兵により乱暴された上に殺害
○1949年6月、米軍機が小学校の校舎に激突、17人死亡(うち小学生11人)
*その他、沖縄での米軍による事件・事故
http://tamutamu2011.kuronowish.com/okinawajikennjiko.htm
○1965年8月、佐藤栄作首相、首相としては戦後初の沖縄訪問
○1969年11月、沖縄本土返還に正式合意
○1970年12月、国政参加選挙実施、コザ暴動勃発
○1972年5月15日午前0時、クラクションが鳴り響く中、正式返還
○1978年7月、右側だった車両の通行が左側に
○1997年、日米間で普天間飛行場の返還を含む基地移転案に基本合意
○2000年、九州・沖縄サミットが開かれる
○2003年、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通
○2009年、鳩山首相が普天間基地の移設先を「国外、最低でも県外」と発言
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