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2015年07月04日05:37

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成田亨とヤンソンと 〜『美の巨人たち』放送!

「ウルトラマン」「ムーミン」に隠された物語とは?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=99&from=diary&id=3498163

 『美の巨人たち』が、成田亨やトーベ・ヤンソンを取り上げることに驚いている人もいるかもしれない。児童文学や漫画、アニメーション、特撮などといった作品の「キャラクター」にアート的な意味での「美」というものがあるのかどうか、疑問を抱く人もいるだろう。そういう人たちは、だいたいにおいて、商業主義に毒された作品や、子供に媚びを売ったものには美的価値はないと、本気で思い込んでいるのである。
 「子供向け」=「子供騙し」と錯覚している人も少なくない。子供は心身ともに未成熟で知能的にも大人より劣っているし、当然深い考察などできるはずもないから、表面的な刺激だけで笑ったり泣いたりする。言い換えるなら、表面的な刺激にしか反応しないのだ、と。
 実際に、そういう子供もいるだろう。そしてそういう子供は、大人になったら、児童文学や漫画、アニメーション、特撮などと言った「美的でないもの」からは卒業してしまうのだ。子供の頃、なぜ「あんなもの」にかぶれていたのか理解できない、あの頃の自分は幼稚でバカだったよなあと、若干の恥ずかしさも込めて述懐し、反作用的に今は立派なオトナになっている自分を誇らしげに自画自賛するのである。
 そしてそういうオトナは、子供向けの作品の中に、ひとたび自分の「気に入らないもの」を発見すると――それはあるときは残酷な描写であったり、エロチックな表現であったり、あるいは誰かを傷つけるものだと判断されるものであったり、思想的に偏っていて国益に反すると見なされるものであったり――実際は、その殆どが彼らの主観でそう決めつけられたものに過ぎないのだが――規制しなければならないと騒ぎ出すのである。

 成田亨がデザインした宇宙人たちの中で、そういうオトナたちによって「封印」させられたキャラクターがいる。
 『ウルトラセブン』幻の第12話「遊星より愛をこめて」に登場する被爆宇宙人・スペル星人である。
 スペル星人のデザインについては監督の実相寺昭雄とひと悶着があり、さらにそれが封印事件の遠因にもなっているから、知らない人のためにある程度は説明しておく必要がある。

 地球を侵略しようとする宇宙人の中でも、スペル星人は極めて特殊な事情、目的が背景にあった。彼らの星は放射能に汚染され、人口の殆どが身体的に健康を害していた。彼らが地球に目星をつけたのは、地球人の健康な血液を収集するためであり、その手段として、吸血機能を持つ腕時計をばらまいた。
 この「被爆宇宙人」という設定から、実相寺昭雄は、成田亨に、ヒューマノイドタイプで全身にケロイドがある宇宙人をデザインしてほしいと依頼した。巷間、伝えられる話では、成田亨はこれを拒否したと言われているが、実際には一応、ラフデザインは描いて、あとは造形の高山良策に任せたという経緯のようだ。先般の成田亨展でも、そのスケッチは展示されている。ケロイドはあるかなきかのようにしか描かれていない。
 成田亨がデザインを拒否したのは、怪獣や宇宙人が「かわいそう」な存在であってはならないと考えていたためだと言われている。体のどこかに欠損があるような、そういう哀れなものであってはならないというポリシーがあったと。だとすれば、『ウルトラマン』第35話「怪獣墓場」に登場する亡霊怪獣シーボーズについても、記録はないが成田亨と実相寺監督との間で既にトラブルは起きていたのではないか。何しろシーボーズは欠損どころか骨だけになってしまった怪獣なのだから。実相寺監督は、その「出来の悪い」造形を嫌っていたことだけは著書に記している。
 後に「被爆宇宙人」の記述に気付き、これは原爆による被爆者への差別ではないかと感じた「コドモ」がいた。ある学習雑誌の付録に掲載されたスチルとその記述を見た女子中学生が、父親に訴えたところ、父親(被爆関係の団体の委員だったと言われる)はその学習雑誌に批判の投書をした。それがきっかけで、全国的なニュースになり、円谷プロは「遊星より愛をこめて」を欠番(なかったもの)としてしまった。
 成田亨はこの件については完全に沈黙している。

 自分のポリシーに反する、気に入らないデザインだったとしても、スペル星人の姿は『はだしのゲン』が描かれる以前に、子供たちに被爆者のイメージを最初期に提示した例であったことは事実である。子供の頃、『ウルトラセブン』の本放送で、全身真っ白な、そしてあちこちにかさぶたのような模様が浮き上がっていたスペル星人を見ていた私は、確かにあれをケロイドだと認識していた。そしてそのデザインは、外見的には確かに気味が悪く、数ある宇宙人デザインの中でもひときわ侵略者としての「恐怖」を感じさせるものではあったが――同時にやはり原水爆そのものに対する「恐怖」もそこに内在していることを感じていたのである。
 何となれば、被爆によって「醜悪化」したデザインとしての更なる先駆者――「ゴジラ」の存在を、私たち子どもは知っていたからだ。あの明らかに恐竜のものではないゴツゴツとした皮膚と口から吐く白熱光を、核の象徴と見なさなかった子供が、あの当時いたのだろうか?
 それが「いた」から、先述した封印事件が起きたわけだが、しかしなぜ中学生の彼女は、これが差別問題になると考えたのだろうか。「遊星より愛をこめて」が封印されたことを知った時、私はまだ小学校二年生だったが、真っ先に思ったことが「え? ゴジラはよくて、スペル星人はダメなの?」ということだった。

 今、思えば、その「中学生の彼女」は、大人になりかけで、もう児童文学も漫画もアニメも(特撮は最初から興味がなかったかもしれない)「卒業」してしまっていた「半分オトナ」だったのだろう。
 彼女には、成田亨の苦渋と呻吟と諦観の末に生まれたスペル星人のデザインの中に、「サベツ」以外の何物も感じることはできなかったのだ。

 美は醜であり、醜は美である。
 また、この言葉を繰り返さなければならないが、芸術が追及するものが人間の本質である限り、そこに「美」だけが存在することはあり得ない。
 成田亨は、身体が破壊されたような気味の悪い怪獣・宇宙人はデザインしないと公言していた。しかし、彼の人間観察の深さは、そのデザインに自然と身体の欠損や不気味さを取り込んでしまうことになる。彼が自身の最高傑作として標榜していたのは、我々子どもたちが最も恐怖と不気味さを(そして滑稽さも)感じていた、あの『ウルトラQ』第19話「2020年の挑戦」に登場した「誘拐怪人・ケムール人」なのである。
 劣化した自らの肉体を補完するため、現代人の健康的な肉体を欲して、ゼリー状の液体を使い、我々を次々と「未来へ誘拐」していく。ふぉっふぉっふぉっ、という不気味な笑い声は、映画『マタンゴ』からの流用で、さらにバルタン星人の声としても使用された。
 今は「宇宙人」という設定に変更されているようだが(これもサベツ関係らしくてね)、元々、ケムール人もまた、何かいろいろあって(笑)、地球人があんな姿になっちゃった、我々の「未来の姿」だったのである。2020年に私たちはああなっちゃうから、もう5年後だよ。ええと、ウィキペでもこの辺の事情はタブーらしくって、「人類の未来の姿であるとも言われるが定かではない」とか書かれてる。定かだってば、このカシオミニを賭けてもいい(c.佐々木倫子)。宇宙人だったら「ケムール星人」ってネーミングしてるよ。「ケムール人」と「星」がないのは、彼らの母星が「ここ」だから。
 成田さん、殆ど同設定なのに、どうしてケムール人はよくて、スペル星人はダメだったのよ(苦笑)。

 ムーミントロールもまた、元々はトーベ・ヤンソンの「便所の落書き」が発端だった。弟のペール・ウーロフとの議論に負けた腹いせに、トーベが「スノーク(しかめっ面で醜い)」と名付けた「鼻の大きな生き物」がムーミントロールの原型になったのである。政治風刺漫画家としてデビューした若き日のトーベは、自分の漫画のあちこちに、サイン代わりにこの奇妙な生き物を描き加えるようになった。それはもう弟の戯画化ではなく、ヒットラーとナチスが台頭するヨーロッパの悲惨な状況を、なすすべもなくおろおろと見つめるしかないトーベ自身の姿になっていた。
 若き日のトーベの写真を見ていただきたい。とびきりの美人である。彼女は若き日の自画像をいくつも残しているが、全く衒いもなく自身の美しさを誇らしげに描いている。それが、風刺漫画家となった途端に、一気に卑小化するのだ。
 みんなが「顔」だと思ってるムーミンのあれ、実は「鼻」だからね! あの下に実は口が隠れている。ムーミンシリーズ第1作の『小さなトロールと大きな洪水』のイラストまでは、その「鼻の下の口」が確認できる。洪水に、そして第2作『ムーミン谷の彗星』では彗星の到来におびえる小さな醜い生き物たちは、みなトーベの分身だった。戦争の影におびえる、無力な少女の投影だった。
フォト

 ムーミンたちが「かわいらしく」なるためには、戦後の平和と、そしてバイセクシャルであった自身の本当のパートナーとの生活を手に入れる必要があった。トーベファンならみなさんご承知だろう。ムーミンの親友の一人、男だか女だか分からないと言われていた「おしゃまさん(トゥーティッキ)」は、そのパートナーでデザイナーのトゥーリッキ・ピエティラさんがモデルである。
 7月5日(日)まで、北九州市立美術館別館(リバーウォーク北九州内)で開催中のトーベ・ヤンソン展では、そのトゥーリッキさんが造形したムーミンたちのフィギュアも鑑賞することができる。

 ここまで書いてきたことでお分かりいただけていると思うが、私は、児童文学からも、漫画、アニメ、特撮からも、全く卒業しなかった人間である。「卒業しろ」と言われたことは何度もあるが、私が「なぜ?」と聞き返したときに、明確に根拠のある理由を答えられた人は誰もいなかった。
 「視野が狭くなるからだ」という意見に対しては、「じゃあ他のジャンルのものも読めばいいんだよね?」と反論して、純文学も世界名作も、哲学書から科学書まで片っ端から読んだ。映画も名画座、名画座がなくなってからはレンタル、CSと観まくった。本は1日1冊読破(漫画は勘定に入れない)、映画も1日1本が、30代までの日課だった(結婚して激減したが)。これで「視野が狭い」と言われたら、なんぼでもあの本やらこの映画から「引用して」反論したるわ(笑)。

 結局、私を折伏しようとしていた人々は、いかにも「あなたのためだから」を口実にしていたが、「自分が恥ずかしくなって見捨てたもの」を未だに楽しんでいる私に対して嫉妬していたのだろう。
結局はこれも「感情論」にすぎない。
 ラ・ロシュフコー曰く、「理性が感情に勝利する時は、理性が強いからではない。感情が弱いからである」。へなちょこな感情論には負ける気がしねえ(苦笑)。いやまあ、「ひけらかし」で粋じゃないから、こういう引用はあまりしないけど。

 成田亨展も、トーベ・ヤンソン展も、せっかく福岡で開催されたっていうのに、知り合いで足を運んだって人をついぞ知らない。どこかで呟いていて、私が気付いてないだけかもしれないが、全く関心がなかったとしたら、やはり「卒業」しちゃってるのかなと寂しくなる。
 ヤンソン展は明日までだから、ムーミンばかりじゃなくて、彼女の画業と歴史との闘いも俯瞰できる貴重な展示会だよ、ぜひご覧下さい、図録も買いましょう、と言いたいが、もう無理かな。
 せめてTVQで、今日と来週と、夜10時から放送される『美の巨人たち』はチェックして、本当に「卒業」しちゃってよかったものなのかどうかを確かめてもらえたらと思う。これは「押しつけ」じゃなくて、切なる「祈り」なのであります。

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KIRIN ART GALLERY 美の巨人たち
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/index.html
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2015.7.4放送 (BSジャパン再放送 7/29)
成田亨「MANの立像」
 人気キャラクターを芸術の視点でひも解く“懐かしの人気キャラクターSP”。
 今回は、誰もが知るヒーロー!ウルトラマンの彫刻作品、成田亨『MANの立像』。
 美術スタッフとしてウルトラマンを生み出し、新進気鋭の彫刻家としても評価が高かった成田。この彫刻は放映終了後20年を経て制作されました。なぜこれほどシンプルで美しい造形に辿り着いたのか。その答えは「プラトン」と「弥勒菩薩」にあり!?
 また成田が生前語っていた「単純化した生命感」とは?大きく、美しく、かっこいい、芸術品としてのウルトラマン誕生秘話に迫ります。

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2015.7.11放送 (BSジャパン再放送 8/5)
トーベ・ヤンソン「ムーミン」
 美の巨人たちは2週連続
 懐かしの人気キャラクタースペシャル。
 第2弾の7月11日は、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」!
 見慣れたムーミンとはちょっと違います。
 そこはモノクロの世界。
 ムーミン誕生に隠された画家の苦悩と希望の物語が込められていたのです。
 そして、フィンランドの海を愛した画家が描く海と、日本とのある意外な繋がりとは…。
 お楽しみください!

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