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2015年07月04日00:52

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二宮金次郎は、何した人ぞ?

こんばんは、白黒茶々です。
ちょっと古い小学校には、薪をかついで歩きながら読書をしているスタイルでお馴染みの、二宮金次郎像がありますよね。本

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その像は、たつぴの母校の小学校にも置かれています。学校ところで、彼がどのような功績を残したのか、ご存じの方はいらっしゃるでしょうか?そういう私も、あまり詳しくは知らなかったので、この機会に彼のことについて調べてみました。あせあせ

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では、箔と波を金次郎君の脇に添えてから、彼の話をさせていただきます。わーい(嬉しい顔)
二宮金次郎は、江戸時代後期に今の相模国足柄上郡栢山(かやま)村(神奈川県小田原市)のちょっと裕福な百姓の家に生まれました。金次郎は孝行息子だったのですけど、その実家の田畑は川の氾濫で荒れ果て、さらに相次いで父母の死にも見舞われてしまいました。涙

金次郎は伯父の家に居候し、農業に勤しみながら勉強にも打ち込み、彼は20歳のときに生家の再興を果たしました。家

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金次郎談をしながら、私たちは次の目的地に移動。車(セダン)袋井市の愛野駅の真ん前には、成人した二宮金次郎(尊徳)さんの像があるのですよexclamation
尊徳はその後、小田原藩家老の服部家に奉公人として仕え、傾きかけていたその家の財政建て直しも果たしました。さらに小田原藩だけにとどまらず、烏山、下館、相馬藩などの600もの村を建て直したのでした。指でOK

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やはりこちらでも、箔と波を乗せさせていただきます。犬猛勉強や農業の実践によって彼が編み出した思想は「報徳思想」と呼ばれ、彼が亡くなったあとも、門下生たちによってその教えは広められていきました。晴れ
袋井市の隣の掛川市には、無数の二宮金次郎像があるので、次回は箔や波と一緒に、それらを訪ね歩いていこうと思います。ウインク


http://blog.goo.ne.jp/hakubanoinu/e/46850af64cea849c3ef7ce91b6167e43
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