■村山元首相「総理個人の70年談話なら意味ない」
(朝日新聞デジタル - 06月24日 21:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3483521
議院内閣制では、国会からの信任を受けて政治のかじ取りをまかされているわけで。
公人としての首相の政治的見解は、閣議の連帯責任が前提で、さらには首班に指名した政党の責任にもなってくるわけで。
「戦後70年という節目」で、首相の肩書を使って、「閣議決定を経ないで個人の政治的信条を開陳する」ことは、謝罪ですむ国会でのヤジと違って、公私混同にならないのかな?
靖国参拝でさえ、「個人名」を使い分けているのに。
どんな中味かしらないけど。
「私的見解で安倍色反映」という「談話」は、(現職でやったという話はきかないけど)せいぜい新聞なり雑誌なりに、「個人見解の広報」として投稿するレベルの話なんでないのかな?
しかも大方の予想通り、仮に周辺諸国の反発を招く内容なら、その外交上の国益に与える影響は、「個人が負う」ことになるわけ?
*過日、ロシアとNATOの全面対決を回避したドイツのメルケル首相が訪日した際、「外交政治の秘訣」を教授していって、でも、安倍首相は聞く耳をもたなかったみたいだけど。
アメリカ軍の後ろでウロウロしたぐらいの実績で、今度は新安保法制で、遥か遠いホルムズ海峡を日本の万里の長城にしようとするリアリティーに欠けた「積極的平和主義政策」に、周辺諸国が静観するとも、思えないわけで。
「平和ボケした右翼」が、怖いとはいわれているけど。
*今の憲法と法体系のなかで、どこまで「ムード右翼」ができるかの実験を、国民はどこまで許容するんだろうか?
政治は、「一寸先は闇」だからなあ。
躓く石は、まだまだありそう。
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