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2015年06月21日20:50

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【文字起こし】2015.6.20ラジオ・フォーラム第128回 小出裕章ジャーナル【大学時代は右翼チックで保守的で、愚かな学生でした】

弘兼憲史=右翼チックで保守的=ろくでなしウッシッシ

小出裕章さんが学生時代、原発に対して何の疑問も感じずにいたら、きっとバリバリの御用学者になって今でも原発推進を喧伝して、日本会議の幹部にでもなって、安倍ぴょんと仲良く飯を食う仲になっていたかもしれないたらーっ(汗)

それは嫌だげっそり



ラジオ・フォーラム第128回
http://www.rafjp.org/program/128/

小出裕章(京大助教)非公式まとめ
http://hiroakikoide.wordpress.com/

京都大学原子炉実験所 原子力安全研究グループ(小出氏が所属)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html

小出裕章氏講演会情報
http://healing-goods.info/koide/


【内容文字起こし】

今西:小出さん今日はよろしくお願いいたします。

小出:こちらこそよろしくお願いします。

今西:小出さん、えー、1968年、東京にいらっしゃって、それから東北大学に進まれました。これ何で原子力をやろうと思われたんでしょうか?

小出:(笑)・・・えー、今日、この会場にも私と同世代ぐらいの方もいらっしゃってくださっていますけれども、私の子供の頃は、「鉄腕アトム」という漫画が流行っていた時代でした。

今西:僕の子供の頃もありました。はい(笑)。

小出:はい。原子炉で動くロボットで、アトムの妹はウランちゃんだったし、兄貴はコバルトという名前で、これからは原子力の時代なんだという、そういうことが社会に蔓延していましたし、日本の国家の方も、積極的に、これからは原子力なんだと、化石燃料なくなっちゃうんだから、未来は原子力というような宣伝をしきりに流していまして、中学・高校の頃に私はそれを聞かされて、てっきり信じてしまった(笑)。

今西:なるほど。それがね、嘘八百って分かったのは、どんな瞬間でしたか?大学で勉強されてて。

小出:えー、まあ、いくつももちろん、ありますけれども、私の場合には2つ契機がありました。

今西:はい。

小出:一つは、1968年という時に、私は大学に入ったのですが、その時は大学闘争というのが、闘われていた時代でした。私自身は大変右翼チックで、保守的な学生だったので、学生服を着て大学に通っていましたし、1時間も授業を欠席しないというような、愚かな学生でした(笑)。

(会場笑い)

今西:それは愚かなんですか?(笑)

小出:はい。今から思えば、あまりに愚かだったと思います。

今西:(笑)

小出:大学闘争が何をやってるかも分からないまま、ひたすら原子力をやりたいと思っていた学生だったのです。で、まあそういう時代の中で、私が原子力をやり始めた時に、東北電力・・・私は東北大学という大学に行きました。宮城県の仙台という、まあ結構大きな街で、私は勉強していたわけですが、東北電力という電力会社が、原子力発電所を造るという計画を立ち上げたのです。

今西:それが女川原発ですね。

小出:はい。そのこと自身、原子力発電をやるということ自身は、私にとってはまあむしろありがたいことだと思ったわけですが、建てる場所が、電気を使う仙台ではなくて、女川という、本当に小さな、田舎の町に建てるという計画だったのです。そして、女川の人たちが、「なぜ電気を使う仙台ではなくて、自分たちの町に建てるのか」と、いう疑問の声を上げたのです。え・・・それを聞いてしまいましたので、「なぜだろう?」と。彼らが挙げた疑問に答えなければいけない、答える責任があると私は思ったのです。で、答えなければいけないと私が思ったのが、その大学闘争に巡り会っていたからなのですけれども、え・・・だんだんだんだん大学闘争というのが何を問題にしていたかということを、私自身も逃げることができなくなりまして、考えたところ、大学闘争で問われていたのは、自分がやっている学問が、社会的にどういう意味を持っているかということを、きちっと答える責任があるということだったのです。そうなると、私がやっている、まあ原子核工学というところにいたのですけれども、その学問が、社会的にどういう意味を持つか、原子力発電をやるということはどういう意味を持つかということを、私の責任として答えるしかないということを、私は思ったのです。でまあ、答えを求めて、何故かと、ずーっと悩み続けました。まあ、長い時間が経ちましたけれども、今から思えば、答えは簡単で、原子力発電というのは、都会では引き受けることができない危険を抱えているから、過疎地に押し付けるんだと、いう・・・結論に私はたどり着きました。そうなれば、到底そんなものは認めてはいけないと、思うようになりまして、え・・・とにかく原子力発電をやめさせなければいけないと、いうことで、180度、自分の人生を、その時点で、あの・・・変えました。

今西:なるほど。その中で、多くの研究者。まあ同級生の方々とかは、原子力ムラと闘う道を選ばず、原子力ムラに入る道を選択された方が多かったんじゃなかったですか?

小出:まあ、基本的には、大学というところは、ん・・・まあ例えば、まあ東北大学もそうですけれども、え・・・エリートとして、社会に出ていって、出世をするのが、人間の価値みたいなような世界なわけですし、

今西:大学でもそういうことなんですね。

小出:そうですね。みんなそうやって思っているわけですし、大学を出たときは、少しでもいい企業にやはり就職しようと、みんなが思っていたと思います。まあそれでも大学闘争という時代でしたので、私の周りの学生のかなりは、当時「ドロップアウト」というようなことを言っていましたけれども、

今西:はい。

小出:社会的なステータスを求めていく道からは外れて、それなりに自分たちの生き方を探すというような、仲間はたくさんいました。

今西:ああ、なるほどなるほど。それでそういうことを振り返っても、小出さんが選択された道っていうのはもう、全く悔いがない。間違ってなかった。

小出:ふふふ(笑)。えー、分かりません。私は少なくとも、自分の人生最大の間違いというのは、原子力などに夢を持ってしまった、ということが私の最大の誤りだったと思いますけれども、でもその愚かな、過ちを犯したのは私なわけですから、その落とし前をつけるのは私でなければならないと、思ったわけで、自分の愚かな選択の落とし前をどうやってつけるかと、いうことを考え続けてきました。それでまあ、原子力の場に残って、とにかく原子力を潰すために、仕事をしようと、思ったわけで、その私の・・・まあ思いがどこまで本当に効果があったか、役に立ったかということは、自分では分かりません。ただし初めに、ちょっとだけご挨拶しましたけど、41年間、一つの職場で、解雇もされることなく、やりたい放題やり続けてこられましたので、恵まれた人生だったと思います。

今西:なるほど。その中でですね、今日女川原発のことを聞くにあたってですね、どうしても聞いて欲しいというですね、質問が私のところに来まして、えー、東日本大震災がありました。4年前にですね。女川原発は、福島第一原発のような大事故は起こさなかった。そういう意味で、今現地では、安全安全と、繰り返し言われている。安全神話が続いている。この現状をいかがお感じでしょうか?

小出:まあ全く馬鹿げたことですね。東京電力の福島第一原子力発電所が、あのようになってしまったというのは、発電所全体がブラックアウトと、全所停電に追い込まれたからなのです。それは外部の送電線も、鉄塔がひっくり返ってしまって、外部からの電源も来なくなったということなのですが、女川原発も、もう首の皮一枚で止まった。なぜかと言うと一系統だけ、鉄塔が潰れないで、外部から電気が届いたということで、ようやくにして生き延びたわけで、外部の鉄塔が倒れるかどうかなんていうことは、まさに、誰も予測できない。地震の強さによって、たまたま壊れてしまうということも起こり得たわけですから、女川原発の場合、もちろん良かったと思います。一系統だけ生き延びてくれて良かったと思いますけれども、言ってみれば偶然です。

今西:そうですね。まあそういう中でですね、本当にあの、小出さん、長いことご苦労様でした。

小出:いいえ。

今西:どうも今日はありがとうございました。

小出:はい。ありがとうございました。

今西:公開収録でお送りしております、小出裕章ジャーナルです。

【文字起こし終了】


■育児を一切せずゴルフに浮気!『島耕作』弘兼憲史の"家庭放棄"を妻の柴門ふみが暴露!
(リテラ - 06月21日 13:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=3477625
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