http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15822 (写真入り記事)
今日は、忙しい一日になる予定で、朝から準備万端でした。昨日できなかったラジオ体操もして、朝食を食べ終わった頃、急に行かなければならない用事が入りました。
朝11時〜午後3時まで、東京福音リバイバル聖会の会議に参加する予定でしたが、急きょキャンセルせざるを得なくなりました。
その会議は、今の時代としては珍しく、4時間〜4時間半もあります。昼食をはさんで大会の企画や運営などについて話し合いをします。
急用はお昼過ぎに終わりましたので、遅れて会議に参加できないこともありませんが、土曜日や日曜日の準備が終わっていませんでしたので、神様が、その準備のための時間を下さったと思います。
会議に行けなくなりましたので、委員の牧師先生方に、一斉メールを送りました。一斉メールは、通常、返事をしなくてもいいものと思うものなのでしょう。誰からも返事が来ないのが通常です。伝わったのかどうなのか心配になることがありますが、何と、1名の方から、「菅野先生とお会いできないことを残念に思います」と返事を頂きました。
不思議です。その1名のメールがうれしくて、喜びで溢れました。
先週の土曜日に、意識不明になった方のために、横須賀の病院に祈りに行きましたが、電話で、「ぜひもう一度お祈りに来て頂きたい!」と電話をもらっていたので、3時に横須賀に向けて車で出かけました。
当初は、3人で意識が回復するようにお祈りをしましたが、しばらくして1人が帰りました。帰る前には、1人ずつお祈りをしました。祈りは、天国がこの地上の中に入って来るように感じます。
しばらく2人でお祈りをしていると、家族の方が3人来られました。そのうちの2人は、先週の土曜日にお会いしていますが、その時は、会ったこともない私がそこにいるのでびっくりしたのでしょう。「一体何しにここに来たんですか!?」と殺伐とした空気になりましたので、一度席を外しました。後で聞いたら、天理教を信じているそうで、キリスト教という他の宗教の牧師が祈りに来ていると聞いて、戸惑い、びっくりされたのだと思います。
ところが、今日は少し雰囲気が違いました。すでに病室で1時間近く祈っていましたので、前回と雰囲気が違ったということもあると思いますが、前回と打って変わって、温かい雰囲気でした。
その時、意識不明であきらめていたのに、頭や足などを触りながら名前を呼ぶと、明らかに口を開け閉めしてくれました。みなさんが驚きました。
その姿を見て、きっとご家族のみなさんも望を持ち始めたのではないかと思います。医者からは、「あと2週間も持たないでしょうね」と言われていました。しかし、意識がなくなってから、すでに16日が経過しています。
病人のために手を置いて祈ったことで、病気が治ったことが何度もありますが、今回は、二度祈りに行って、別段、変わったことは起こっていません。しかし、家族が来た時に、触って声をかけることで、少し奇跡が起こったかのように、意識を失ってはじめて、口の開け閉めだけですが反応してくれました。
聖書は、「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコの福音書16:17〜18)と語ります。
「信じる人々」とは、今日、神を信じたばかりの人も含まれます。
祈ってすぐに、病気がたちどころに良くなったとしたら、それは素晴らしいことです。しかし、一番重要なことは、病気が治ることではなく、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命を得て天国に入ることです。
天理教のお子さんたち(といっても私よりも年上です)が、心を開いて、和やかな雰囲気でお話ができたことがうれしかったです。そして、希望の光が差したことをうれしく思いました。
帰る時には、何度も何度も、頭を深々と下げてから帰られました。私の祈りは、病気が治ることよりも、「このご家族が救われてほしい」という祈りに変わりました。
私に「祈りに来て下さい」と頼んだ方も、「とても良かった、良かった」と話され、何度も何度も頭を下げて帰られました。
神様は、病気がすぐに治らないことで、水面下で、もっともっとすごいことをされているんだと感じています。
イエスさまが病気のいやし以上に、罪の赦し=救いを大切にされたできごとが書かれた聖書箇所を引用します。
『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。』(マルコの福音書2:1〜12)
人々は、イエスさまが「罪を赦す」と言われましたが、言うだけなら誰でもできますので、目の前で病気を治すことの方がはるかにすごいと感じていました。
しかし、実際は逆です。罪を赦すことは簡単ではありません。イエスさまは、罪を赦すために十字架で命を捨てなければならないので、この地上に来られました。罪の赦しには、罪のない神の一人子イエスの十字架の死と復活が必要でした。
神だけしか言えない、言ってはいけない罪の赦しの宣言をされましたが、その権威を持っていることを知らせるために、目の前で病気も治されました。
聖書には、そのような奇跡が普通のことのように書かれています。信じて祈り続けたいと思います。でも、一番は、家族の皆さんが救われることです。ひ、お祈りに覚えて下さい。
帰り道の信号待ちをしている時に妻に電話をしました。
「あなたが食べたいものを食べて帰って来て下さい」と言うので、環七通り沿いのホープ軒に行きました。券売機で大盛り券を探しますが、どこにもありません。聞いてみると、「大盛りはありません!」と言われました。さらに、ライスもありませんでした。随分潔いお店だなーと思いましたが、通常は大盛りを食べるので、普通盛りは新鮮でした。おいしく食べて帰って来ました。
今日は、すごく忙しい一日だったはずですが、急用が入ったことで、長ーい会議をキャンセルすることになり、1時間半の時間が与えられました。仕事を終えてから、横須賀の病院にお祈りに行けました。
病院でたくさん祈れたことが感謝でしたが、病人の家族の方々と親しくなれたことが何より一番うれしかったです。
今日もお疲れ様でした。また明日お会いしましょう。おやすみなさい。
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