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2015年06月16日18:17

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『現実的合理性』という言葉の危うさ。

昨日のTBSラジオ「デイ・キャッチ」に出演していたジャーナリスト青木理氏によるコメント。

「橋下サンがどう思うかはご自由。しかし労働者派遣法や安保法制で、
巨大与党の補完勢力として振る舞うのなら、維新の党としての存在意義はない。
与党の後押しならば、ぼくはそれこそ橋下さんの言葉を借りれば、
日本の国にとって維新の党は良くないと言ってあげたい。」

結論部分のみなのでざっくりしているが、
この文言に込められているものが何であるか、推して知るべしというもの。

「政党の方向性が全く見えない」のは、まさに空中分解の危機にあるこの党という他ない。
『是々非々』は、大なり小なりどの政党にもあり得ること。
問題はその各論について、根幹にある理念が何であり、
整合性がどれだけ取れているか、また取れていない、取れない恐れが有る時
どれだけ速やかに修正・微調整出来るかに掛かっている。

とりわけ国家の将来や国際政治学として極めて重要で、
かつ大変デリケートで神経の使う安全保障政策において、
どこまでも多角的な視点から綿密な精査と国民への丁寧で有機性を持った
議論を展開することが不可欠となる中で、このように誰が観ても
策略的な裏の行動を見せつつ、急激な国策への発言を重ねて来る所に
大いなる訝しさと疑念をもたらす、そのことへの緻密な計算と配慮が
まるで感じられないのは、“独裁的感覚が根幹”にある氏の素養たる所以。

何よりも【現実的合理性を重視する】という、これまでの取って来た観念。

「合理性」というのは一聴して非常に耳触りの良い言葉だが、
その絶対的条件には、多様な意見や思考に対する極めて丁寧で、
異なる意見を持つ者に対する限りない『慮る姿勢』と『抱擁力』が備わり、
継続的な聞く耳とマイノリティへの思慮を背景に、理想的な合意形成へと向かう
繊細な政治力があって初めて合理的と認められる。

だが、氏の取って来た地方行政の結末はどうか。
その「現実的合理性」の結果は、絶対的存在である地域住民を抱擁し
異なる立場を融和させるどころか、逆に分断と住民間の中に大きな禍根を残し、
ある種の荒れ地にしてしまった。

これと同じ手法で、更に大きな集合体である国家に対して執り行えばどうなるか・・
結果は自ずと見えて来るはずだ。

また『現実的』という言葉に内包される危険性・・。
国家の理念や指針は、限りなく恒久的な一貫性がなければならない。
つまり、時勢ごとの現実的側面の度に根幹の理念や指針が揺らいでは
ならないということであり、現実的合理性に基づいて柔軟に国家理念が変わって見えることは
最もあってはならないということをまるで理解されていない。

とりわけ、あらゆる爪痕を残した中で再建の道を歩んで来た、ある種特殊な背景を
抱えるこの国が理念を変えるということが、どれだけの前提条件と
それに伴う作業を経ねばならないか・・
小手先の文言解釈を曲解したり、恣意的解釈によって理念が七色に変化することは
国家内のみならず、世界に対して大きな疑念をもたらすことに直結する。
それに対するデメリットを払拭し、尚もメリットに変質させるだけの説得力と
効果的な手段を用意出来ているのか・・

そうしたものがなく、ただ持論を派手に展開することでもたらされるあらゆる弊害は、
かつての慰安婦騒動で充分経験したはずではないのか。

他方、目の前にある危機や懸念に対処するのは、あくまでも緊急的措置の性質を脱しない。
この『現実的』側面の根幹には、あらゆる角度から観る所の一貫性と整合性、
そして揺るがぬ国家理念がしっかりと存在していなければ、
結果としてハリボテ状態、建て増し温泉宿状態の国家理念と受け止められかねず、
危機対処後における国際政治の場面で更なる危機や懸念を誘発、
蓄積されていく恐れがある、そのことについての見積もりが氏の中にどれだけあるか・・・

残念ながら、そこまでの緻密性はまるで感じられない。だから恐ろしいのである。
極めてデリケートな分野であるからこそ、責任ある立場であることを前提に
行動も発言もしてもらわねば、その返り血は全て国民に覆い被さるのだ。

政界から身を引くと公言したからには、その立場にあるならば、
舌の根も乾かぬうちに余計なことを言い散らし、混乱させるとすれば
それは極めて国民にとって迷惑千万なことだ。



橋下市長、民主との連携を否定
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3467207
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