母が死にました。
しばらく前のことです。つい先日まで―葬儀に行くまで正確な日付も知らなかったのですが、
5月8日のことだったそうです。
去年「母には会わせない」と言われたときに、じぶんの中ではお別れを済ませていたので、
ショックだとかパニックだとかは特になく、静かに受け止められたのですが、
あえて関係ないことを書くのもどこか白々しく、
かと言って、物事の進み具合を逐一報告するのは、なおのこと気が重かったので、
こうして文章を書くこととも、ずいぶんごぶさたしてしまいました。
6月7日、遅い葬儀があり、生まれ故郷のお寺まで行ってきました。
「知らせてもらえただけ、いいんじゃないの?」と言ってくれたかたもいました。
たしかにそうかもしれないです。
下を見ればきりがありません。
だから、別に家庭不和とかアピールするつもりはありません。
もちろんあからさまな無視や、嫌味や、舌打ちを浴びせられるのが、楽しいわけはありません。
それでも、それは予想していたものではあったし、、
「不愉快」という程度で、「辛い」というほどのことではありません。
ほんとうに辛いことは、ほかにいくらでもあります。
ただ、故人を送る場でそういうことをして、なにが楽しいのだろう?
気が晴れたり、すっきりしたりするんだろうか、とは思います。
少なくとも、じぶんは母を送るために来たのだから、と言い聞かせて、
居心地の悪い空間ではありましたが、しっかりとお別れをしてきました。
けっきょく、母はやまねこの歌を聴くことなく逝ってしまったのだな、とは思います。
息子の顔がわからなくなっていても、歌は届いたかもしれない、と思うのですが、
だって音楽ってそういうものじゃないか、とも思うのですが、
他の血縁者の理解を得ることはできませんでした。
誰が、どこから始めた負の連鎖みたいなものを、断ち切ることができるんじゃないか、と、
3年前、20年ぶりに彼らと会ったときには思ったのですが、
それは難しいことでした。少なくとも一方的にはできないことでした。
ただぎこちないだけなのだろうと思ってしまった自分、
「家族」「実家」「帰省」そんな言葉を気軽に使ってしまった自分があまりにも浅はかで情けなくて、
人ってのはそんなに簡単に変われるものではないのだね、
時間さえかければ理解しあえるわけでもないのだね、と、思い知ったものでした。
今でも、母だけはやまねこの歌を喜んでくれたのではないか、と思うのですが、
理解を得られないのは、わかっていて始めたことなのだから、
と、いつも同じところに考えが戻ってきます。
同じところに戻って、整理がつきます。
整理がついて、また歩きだします。
やまねこには、支えになってくださるかたたちがいて、
血縁者以上にたくさんのことを教えてくれた一匹のねこがいて、
じぶんも彼らの支えになりたいと思っていて、
支えられながらも、じぶんの足で立てています。
ひさしぶりなのに、楽しい文章でなくてすみません。
でも、うん。やまねこは元気です。
もう少し、旅を続けましょう☆
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