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2015年06月11日19:49

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夢の小料理屋のはなし 48

革靴の底が、いよいよ壊れた。
まあ、毎日これだけ酷使してりゃこうもなる。
昼休みに神田美土代町の靴屋で新しい靴を買い、午後は新しい靴をフィーリングを楽しみつつ、仕事。
とは言え、壊れても壊れても、いつもリーガルの同じモデルの靴しか履かないんだけどね。
僕は多分、この靴が好きなんだろうね。

そんなこんなで無難に仕事をこなしつつ、やって来たのはいつもの小料理屋。

いつもの場所に腰掛けて、そして、いつものようにビールを飲んで声を上げ、そして、いつものように女将さんのお尻の辺りの辺りの柔らかいラインを目で楽しみ、そして、いつものように睨まれる。

日常。

別に、変化が嫌いな訳では無い。
むしろ、昼間の僕は、「斬新な発想の男」とすら言われたりもする。
ただ、僕は斬新な発想の男故に知っている。
斬新さも、それが続けばただの予定調和になる事を。

かつて、パンクはその斬新さと、己が生み出したフォーマットの強烈さ故に、自滅した。
パンクのフォーマットを守ろうとすればするほど、革新的なその精神は腐り落ちていくと言うジレンマを内包していたからだ。
では、その狂気にも似た衝動はどこへ向かえb…

「何難しい顔してるの?」

女将さんの顔が、目の前10センチぐらいのところにあった。
「どわあ!」
「そんな驚くような顔だったかしら?」
「あ、いやほら、うん、びっくりした。」
背筋を伸ばして、ビールを一口飲んでみる。
いつものビールは、いつものように旨い。

「いや、さ。」
「どうした?」
「幸せではあるんだけどね、毎日同じこと繰り返してるなー、って、ちょっと思ってさ。」
シャッリシャリに凍った烏賊の沖漬けを食べてみる。
口の中で、濃厚なワタの味がとろけながら広がる。

「同じ日なんか、もう二度と巡って来たりはしないわ。」
包丁を拭きながら、女将さんは言った。
「そう、思わない?」
「ううん、よく分かんないや。せいぜい、靴がすり減ってるのに一年ごとに気付くぐらいでさ。」
「でも、ね。」
さんぴん茶を飲み、一呼吸置く女将さん。
「あなたが靴を一足すり減らして歩いた間に、どれだけお客様に頭を下げたかしら?どれだけお客様を笑顔にしたり、時には怒らせてしまったりしたかしら?」
「そうだねえ。」
「その数だけ、あなたは成長してるわ。40を過ぎた今でも、ね。」
「成長してるのかねぇ。」
「それで成長しないような男と、私が一緒になる訳無いじゃない?」
珍しく、女将さんの目は笑っていない。
「去年の今日と比べたら、あなたは随分いい男になってる筈だけど?」
「そう、見える?女将さんには。」
「去年のあなたと比べた事が無いから分からないわ。」
「そうか。」
「でもね、あなたは歩いたわ。仕事の日は一日も休まずに。」
何だろう、この、母親が息子を諭すかのような、そんな強さと優しさは。
「そう、だねぇ。休まずに歩いたねぇ。」
「じゃあね、ちょっと『人』って字を想像してみて。」

…人。
想像してみる。

「あのね、…ちょっと猫の口の形に似てるわよね。フフフ。」
え?そう言う、三宅裕司の奥さんみたいなオチ?
「私ね、真面目に話を聞いてるあなたを茶化すのが好きなんだ、フフフ。」

何だろうねえ、このとっ散らかったオチは。
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