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2015年06月05日01:17

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【58】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15777 (写真入り記事)

今日の午前中は、妻と買い物や訪問をして、「ブランチ[brunch](朝食と昼食を兼ねた食事)」をして帰宅しました。

毎週木曜日は、夜の9時過ぎに会食をしながらの懇親会がありますので、朝11時頃に一度目の食事を食べて、二度目は夕方に食べて、三度目を夜9時過ぎにします。

通常、朝食は8時半頃、昼食は12時頃、夕食は6時半頃に食べます。しかし、木曜日は、夜9時の食事を食べるためにひと工夫をしています。

お昼に帰宅後に、電話やメール返信をし、大会の音楽の奉仕の準備、外部集会の講演準備などをしました。時計を見ると、あっという間に午後3時。

車にギターなどの集会での奉仕の道具一式を積んで、夕方4時から6時過ぎまで大会のための会議が持たれました。

会議は毎月のように行われますが、最初の頃は、固い雰囲気で、自由に発言しにくい雰囲気でしたが、回を重ねるごとに打ち解け合い、今日などは、かなり自由で活発な意見交換ができました。

私は、一方的な議事の進行がなされる会議は苦手です。雰囲気が固くて、発言しにくい雰囲気の時は、空気を読んで、じーっとうつむいて座っていることが無難でしょう。そこで無理して発言をしても、嫌われるのがオチです。

しかし、会議に参加をして、じーっと受身でいるだけならば、「一体何のためにここにいるんだろう!?」と感じるものです。それなら、委任状を出して欠席して、後で議事録を読むだけで十分です。

会議は、互いに心を開き合って、自分の意見を発表し合える場であるべきです。もちろん、一人がしゃべり過ぎるのは問題です。誰もが気楽に話し合ってこそ、「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、すごいアイデアが出て来るものです。

今日の会議は活発な意見交換ができて有意義でした。しかし、時間が少し長引きました。

閉会後、すぐに議場を退出し、二度目の食事を食べました。食事が終わると、すぐに別の会場に移り、祈りの集会がはじまりました。

祈った内容は多岐に渡りましたが、特に、今韓国で感染が拡大している「MERS(中東呼吸器症候群)」が収束するように。首都直下型地震、火山噴火などの天変地異からの守り、そして、世間を騒がしている寺社に油をまいた事件に関しての祈りです。

今、容疑者の親族が右翼から脅かされているようです。親族は容疑者をかくまっていません。自由に出かけることもできずに苦しんでいます。容疑者は、現在アメリカにいます。

実は、何年も前から、相続争いや逆恨みによるいくつもの訴訟をしています。親族や身近の人は、彼を、「気狂い」とか、「悪霊に付かれている!」と話していました。私は、半分以上値引きして聞いていましたが、聞かされていたことは嘘ではなかったということが報道され、白日のもとにあらわされました。残念でなりません。

寺社に油を注いで清めるという考えは、聖書から逸脱しています。こんな反社会的なことをキリスト教も聖書も教えていません。

聖書は、「愛は隣人に対して害を与えません。」(ローマ書13:10)と語ります。

「宗教は恐ろしい」という人がいます。確かに、そう思えることもあります。

犯罪や戦争が正当化されてしまうことがあり得ます。オウム真理教の犯罪はその典型的な例です。

しかし、聖書を読み、キリスト教の看板のもとに活動を行っている人の中に、そういう過ちに陥ってしまうことがあります。どうしてでしょう?

それは、キリスト教会や聖書の問題ではなく、問題を起こす人の罪の性質のが問題です。

キリスト教や聖書を純粋に伝えようとしているのではなく、自分の悪い欲望を成し遂げるために、キリスト教という絶大な信頼を利用しているに過ぎません。それは、人を騙す詐欺です。

そういう人は、キリスト教だけではなく、どんなものでも利用できるものは利用とします。宇多田ヒカルや坂本龍一なども利用しようと企んでいたようです。

私は、ネット上で人を批判し、人の信用を貶めることはしたくありません。ぜひ、この問題が解決し、解決するだけではなく、万事相働きて益となるようにお祈りをしていただきたいと思います。

私は、今日も感謝しています。それはノー天気で、ケセラセラ (Que Sera, Sera)で感謝しているのではありません。

では、キリスト教の看板を利用している人が容疑者となっているのになぜ感謝できるのでしょうか。

人は、案外、自分を「正しい人」と思い込んでしまう存在です。

今日の祈りの会で、「神様、私が知らずに犯した罪、無意識で犯している罪、神様の心をいためた罪があったら赦して下さい」と、祈りました。

そして、寺社に油をまいた容疑者が、神の前に悔い改められるように祈りました。

しかし、私たち人間が認識する罪は、犯罪行為として表面化したものだけです。

正しそうに見える人が、隠れたところで何をしているかわからない場合があります。

聖書は、表面に現れた犯罪だけを罪と断じるのではありません。行為に及ぶ前の心の中で考えたこと、起こったことをも罪であると教えます。

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイの福音書5:21〜22)

「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」(マタイの福音書5:27〜28)

つまり、人を見下し、「バカ者」呼ばわりすることは殺人に等しい。また、異性に対して情欲をいだいて見るなら、姦淫を犯したに等しいというのです。

私たちは、まず人のことはさておいて、自分の心の中で、人を見下したり、淫らな考えをしていないか、悪いことを考えていないかを吟味し、「神様、赦して下さい」と祈りましょう。

牧師であっても、神父であっても、司祭であっても、長老であっても、聖人と呼ばれるような人であっても、神の愛の宣教者会の修道女「マザーテレサ」も、公民権運動を主導した「キング牧師」も、愛の原子爆弾と呼ばれる「孫良源(ソンヤンウォン)牧師」も、みんな毎日、一瞬一瞬罪を悔い改めなければなりませんでした。

神様に罪を告白し、赦しを得てから床につき、赦しを頂いてから新しい一日をはじめていきたいものです。

「御子イエスの血はすべての罪から私達をきよめます。」(第1ヨハネ1:7)

神様に感謝をし、一日を終えたいと思います。

おやすみなさい。また明日お会いしましょう。

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