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2015年06月03日01:08

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笑えない話(素人なりの宗教学)

■成田山でも液体、立件へ 神社被害で逮捕状の男
(朝日新聞デジタル - 06月02日 16:39)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3446622

私は子供のころ、キリスト教の日曜学校に通っていた時期がある。
キリスト教の友達に誘われて通ってはいたが、正直、苦手だった。
今思えば、キリスト教を『差別をする』宗教だと思ったからだろう。

改めて言うことではないが、大方のキリスト教信者は差別主義者ではないし他宗教の人間に寛容だ。
問題は、一部の『カルト』とも言える信者たちだ。

彼らは『自分(たち)こそが神から選ばれた民である』と信じている。
確かに、この世の中では未だに解明されていないことが多々あるのも事実だ。
そもそも、キリスト教にしろイスラム教にしろ、成り立ちは非常に似通っている。
それは、狩猟民族が外部などとの争いや内部の紛争などに何らかの巨大な力を示すことで民族を団結させ外部の敵とも戦えるようにした。
その影響を彼らは強く受け継いでいる。
たぶん、厳しい環境の中で相手を殺さなければ自分が死ぬという罪悪感も無関係ではなかったのだろう。
だから、常に彼らは「自分たちが正しい」と叫び続けている。
そうしなければ敵が襲ってくるからだ。

対して島国で農耕民族だった日本人には古来から神道や仏教を信仰していた。
これらは、『万物は斉しい(ひとしい)』としている。
神や仏を信じようと信じまいと因果(原因があり結果がある)があり、幸不幸も人々に襲ってくる。
精霊や神仏はあくまでも、目指す目標みたいなもの。
だから、日本人は争いよりも周囲に合わせることを得意としてきた。(よくもわるくも)
(憲法9条信者なんて悪い例として最適)

『宗教弾圧』など物騒なことを言う訳ではないが、今回の事件のような宗教団体には何らかの罰が必要ではないかと思う。
信仰の自由は確かに尊いが、それを隠れ蓑に犯罪行為を行ってはいけない。
特にオウム真理教の一連の事件はそれを如実に教えている。


しかし、大方の日本人は今回の事件を冷笑交じりに見ているが、私からすると危ない気がする。
それは日本人が『脳みそだけ』人間になりつつあるからだ。
具体的に言えば、情報と経験が不均衡で対人では弱気だがネットでは強気になる人のことだ。
圧倒的な情報量があって経験値不足の人間はカルトから見ると鴨が葱を背負って歩いているのと同じだ。
ネットの討論を見ていると「自分の信じているもの」が絶対正しいと思っている人が多い。
でも、残念ながら大抵の場合、その『絶対正しい』ものは裏切る。
正確に書けば裏切るというより、勝手に期待して相手(対象者)がその期待に応えられなかっただけの話なのだが………
日本人はそれを受け入れる精神性があったはずなのだが、ネットなどで反射的な善悪二元論が幅を利かせる今では過去のものになりつつある。
しかし、そうやって自分の中の『正義』を限定していけばやがて一人(孤独)になるのは当たり前の話だ。
他者から見れば、それは単なる独りよがりに過ぎない。

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