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2015年05月29日08:03

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A級戦犯が「シンドラーのリスト」より人道的だと不味いのでしょうか?



なぜ、教科書に載っていないのでしょう?
A級戦犯が「シンドラーのリスト」より人道的だと不味いのでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/takatosi636/archives/30512949.html
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良く知られているのは杉原千畝(すぎはらちうね)という人がリトアニアでユダヤ人の難民に6000枚の「命のビザ」を発給し、彼らを逃がして、「日本のシンドラー」と言われるようになった、ということ。


そしてそれよりも2年も前に、2万人のユダヤ人を救った人々がいます。東条英機と樋口季一郎、安江仙弘といった人々です。

「1938年3月、満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、2万人のユダヤ難民が、吹雪の中で立往生していた。これらのユダヤ人たちは、ソ連政府によってビロビジャンに強制入植させられた人たちで、ビロビジャンを離れ、満州里を経由して上海へ脱出しようと考え、オトポールまで逃れてきたのであるが、満州国が入国を拒否したため、難民は前へ進むこともできず、そうかといって退くこともできなかったのである。

当時、満州国のハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎のところに、ハルビンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士が飛んできて、同胞の窮状を訴えた。しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱であった。

が、樋口季一郎は自分の判断で、ユダヤ難民全員を受け入れることを認めた。

難民の8割は大連、上海を経由してアメリカへ渡っていき、あとの4000人は開拓農民として、ハルビン奥地に入植することになった。樋口季一郎は部下に指示し、それらの農民のために、土地と住居をあっせんするなど、最後まで面倒を見たのである。」

「●この樋口季一郎のユダヤ難民保護に対して、案の定、ナチス・ドイツ政府から強硬な抗議が来た。しかし、彼は人道主義の名のもと、それをきっぱりとはねつけたのであった。

(※ もう少し詳しく紹介すると、樋口季一郎はドイツの抗議に対して、「ドイツが自国内でユダヤ人をどう扱おうがそれはドイツの勝手であるが、満州国のような独立の主権国家の領域内での決定にドイツが干渉することは許されない。日本はドイツの属国ではなく、また満州国も日本の属国ではない」と主張したのである。樋口季一郎の上司であった東條英樹は彼の主張に完全に同意し、外務省にその通りに回答した。かくて、ドイツの抗議は空振りに終わったのである)。

●現在、エルサレムの丘の上に高さ3mの「黄金の碑」が建立されているが、モーセ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出したユダヤの偉人達にまじって、上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」とあり、その次に樋口季一郎の部下であった安江仙弘大佐の名が刻まれている。」

「樋口季一郎少将と安江大佐のユダヤ人救出に許可を出したのは東條英機関東軍参謀長」














数万人のユダヤ人を救った東条英機 : S.Kのブログ

中国や韓国、それと反日日本人。彼らに捏造された歴史を世界中に宣伝されまくった後で、それが嘘だと証拠を示してわかってもらう、というのはひどく大変なことです。慰安婦の碑なんてものができてしまって...


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