昨日の日記を上げる前、BBキングが亡くなることよりうちの犬に死んでほしくないというような日記をあげていたんだが更新ボタンを押し忘れてあがってなかった。ので文脈が意味不明になっていたかもしれん。
4時半頃紅茶が無くなったので入れにいったついででそれを見た。どこにおいておくかという話題もあったんだけど、オレの部屋に朝まで置いておいたらオレがどうにかなると思ったので「犬が落ち着くとこ」と言ったら親が持っていったのだった。
犬の死骸は、居間にダンボールを置いてバスタオルで巻かれていた。オレが犬にかけてやったやつだ。タオルで巻かれて顔が見れなかったのでタオルをとってみた。お腹が最初に出て触った。まだ温かい。そして顔を見た。死んだ時からずっと目が閉じなかったんだが親がまぶたを閉じてくれたようだ。伸びきっていた手足も普段を思わせるように優雅にたたんである。頭を2,3度なでて、犬の名前を呼んでみた。行ったり来たりしながら何度か(狂った様に叫んだりはしない)いろんな声色で呼んだが、やっぱり動きもしなかった。一度腹が鳴ったようなキュウって音がしたが、それはオレの腹だった。また犬の体を触って最後に抱いて二階に連れて行った時凄く痛そうな鳴き声を出したのを思い出して悲しくなりながらタオルにつつんでサヨナラをした。
もし魂なんてものがあるとして、今うちの犬の霊は、この居間にあるんだろうか?それともオレの部屋にあるんだろうか、とか厨二っぽいことを考えたりした。あるとしたらオレの部屋だよなぁ。いてくれてる?と自分の部屋で思ったが、霊感零なので分かるはずもない。1日たってもオレの部屋はまだ犬の匂いで充満していて、犬の死の匂いではなく、生きていた犬の匂いだ。本体はいないけど犬の痕跡はまだだいぶ抜けないのだろうと思う。
朝の7時頃。まだ起きていて親が「かりん埋めるけど?」と呼びに来たが、行かなかった。それを見たら泣いたかもしれない。泣くのがやだったんじゃなくて個人的な別れはもう済んだように感じたから。
犬がいなくなっても散歩はした方がいいんだろうとは思うが、ずっと起きて犬のことを考えていたので散歩に行く気も起こらなかった。ごはんを食べる時これ好きそうだな、と残しそうになっては思い出し、コーヒーゼリーを食べたらミルクの容器は犬の大好物なのでつい取っておこうと思ってしまったりする。トイレにいく時も犬がついてこないようにそっと行く癖が抜けない。
そういった全てのことを払拭して犬のいた記憶を呼び覚ますアイテムを取り除く事はできない。犬がかぶりついて表面がズタボロのクッションとか誰も使わないだろうが捨てられない。
犬のために置いといた水を入れるカップとか、何時食べたくなるかわからないから置いといたジャーキー的なもの、パンとかは処分した、腐るから。1階似合った犬のエサ箱やとかはそのまま残っていた。
オレにとってはこの5年は犬中心の生活で犬が癌と言われて実際にはガンではなく心臓が弱って死んだ。肯定的に解釈するなら犬がワタシの世話なんかもういいから働け!とオレにメッセージを送ったんではないかと思う。まぁそんなふうに思わないともうオレは思考停止して何も出来なくなる(今も思考停止して何もしてないけど、さらにもっと)。
笑ってさよならなんてことが出来れば良いんだが、吹っ切れはしないね、さすがに。
今後この日記も何について書いていいかわからない。散歩が続くのかも。
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