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2015年05月26日05:48

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成果は自分、責任は他人。

■新国立競技場、東京五輪は屋根なし 「間に合わない」
(朝日新聞デジタル - 05月18日 12:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3421601

五輪招致は、記憶違いでないならば、石原都知事時代に当時の不況による閉塞感から
「日本を元気にする」と招致活動を始めたものであったはずです。
その後、猪瀬都知事が継承し、国からの支援を受け、招致を成功させました。
舛添都知事も反対の立場をとっていた訳ではなく、むしろ賛成の立場であったはずです。
責任者筆頭ともいえる人が「開催都市の知事」としてだけ発言することに違和感を覚えました。
国立競技場の建設費について、国と都が押し付けあっていた事を思うと複雑ですが。

また、アベノミクス第3の矢として五輪招致を政府が後押ししたはずですが、
既に、東日本大震災からの復興のために東北中心に建設需要が大きく高まっている中で、
第2の矢である国土強靭化による全国規模での公共事業の拡大がなされていました。
ただでさえ、人件費の高騰と資材不足により復興事業が十分に進捗しない中で、
さらに五輪を招致することには、当時から間に合わない可能性を指摘する声はありました。
今になって建設費の高騰による計画の見直しが検討されること自体が、
当初の計画も見積もりもあまりに甘く、無責任であったとしか言えないと思います。

そもそも、「コンパクトな五輪」を目指した当初の計画を検証した論評では、
さまざまな環境破壊や無理がある計画であると指摘されていました。
コンセプトやイメージを優先し、実現性を無視した計画をまとめ、
辻褄あわせで修正していく様は、主に計画をまとめた東京都側も責任を免れないと思います。


国立競技場は建て替えではなく、仮設スタンドを設置する方法もあるとの指摘もありました。
既に取り壊された現在では用いることができない案となってしまいましたが、
規模を縮小し、仮設スタンドを設置する形に変えるのならば、解体した意義を疑います。
解体しなければ、日本の建設技術の高さを示すことができたとも考えられ、残念に思います。

もし、自分が関わったモニュメントとして新たな国立競技場を建設しようと考えていたのならば、
計画・コンセプトの変更や建設の全うを危ぶまれるという、日本の信用の低下を招きかねず、
歴史ある国立競技場を永遠に失わせた責任を、国も東京都も取るべきだと考えます。
最初から誘致を断念するか、現実的な計画に練り直してからにしておけば、とは思いますが、
採用された計画から大きく離れたことで、辞退する選択も視野に入れて考えてもと思います。
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