小学校の3,4年の時の担任だった、中村先生。
20年近く前に、一度お会いして、そして、昨日、久しぶりにお会いした。
「卒業させた学年でもないのに、こうやって会えるのは、このクラスだけだなぁ」とおっしゃるけど、
まぁ、それだけ、印象的なクラスだったんですね。
っていうか、すごい先生だったのよ。
教育TVの番組を取り入れた授業を積極的にやって、見学の先生がよくきてたり。
なかなか手が上げられない生徒のために、赤・黄・青 の丸いカードを作らせて、分かった子も解からなかった子も、意見がある子も、全員手をあげる、っていう工夫をしたり。
夏休みの作品を、提出させるのに、(昔は全員対象でなかった)選抜メンバー数人を男女2グループに分けて、予算を渡して、作らせた・・・・男の子グループは、見事、県で賞を受賞。
実は、これ、ワタシのトラウマになってて、女の子グループは、散々だったのですが、昨日、当時言えなかったことを、先生に伝えられて、良かった。
ちなみに、賞を取った、星の観察をするためのパネルを、発案したK君は、あっという間に、大学教授になりました。
なぜ、何のために、それをしたのかわからないんだけど、放課後、数名のメンバーが集められて、当時のオープンリールのテープに、音声を録音したんだけど、
・二人の子が、それぞれの言いたいことを言う。
・一人の子が、自分のことを話すけど、片方は、相の手だけ
・・・・みたいな、忘れたけど、即興演劇かよ、って今なら思うことを、8,9歳の子にさせてたんだけど、あれはなんだったんだろ。
理科の先生だったので、実験の仕方、匂いの嗅ぎ方やら、試験管の傾け方とか、すごくうるさかった。
なにしろ、冗談が好きで、子どもに積極的にかかわってくれた。
そんな先生。
そもそも、昭和34年、先生がまだ二十代のころ、ひとりの生徒からの質問に答えるため、教育委員会を動かして、沖縄視察団を結成したり、九州の地理風土の資料を作るべく、福岡トヨペットや新出光石油から車やガソリンを提供してもらって、野宿したり、お寺に泊まったりしながら、九州一周したり、その後、福岡が政令指定都市になる時、市長から、問われて、「こどもに世界を教えるためには、教師が世界をしるべきだ」と言ったことが、実現して、世界一周したとか・・
まぁ、元気な先生で、数年前には、なんだか、国から勲章をもらったとか・・・(なんの賞だか忘れたが、天皇陛下に手渡された、って。 額に飾ってあった・・・)
まぁ、先生の話は、おもしろくて、テンポが絶妙で、博多弁の落語を聞いてる感じ。
御年83で、毎日の散歩を欠かさないらしい。実は、同じ校区に住んでいる方なので、そのうちうちにも来られるだろう。 缶ピースと携帯灰皿をポケットに忍ばせて。
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