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2015年05月23日19:52

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●『マグリット展』(新国立美術館)

行かないつもりでいたマグリット展にも縁あって行ってきた。マグリットは実は苦手で、分からないからではなく、謎かけをしてるわけではないのだろうが、こちらがなぞなぞに付き合う気持ちさえあれば何とか大丈夫だが、それに付き合っていられないと思うと途端にいやになる画家ではないだろうか。

ある人がマグリットの絵を見て言った「普通の絵画は好みでみていけばよいだけだが、マグリットはいちいち対話を求めらている気になる」と。だから一枚ずつみていく。題名もまたそのなぞなぞに参加して、絵をさらに謎めいたものにする場合もあるし、わかりやすくしてくれる場合もだろう。

さて、どこからこの絵画展の感想を言えばいいだろうか。ちょっと迷う。初期から晩年にかけて、思ったよりかなりの作品数が来ているといっていいと思う。作品の豊富さは、2002年の方が多かったようにも思うが、錯覚かもしれない。
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マグリットは「馬の鈴」を主題化したり、ほっそりした「三日月」が浮かんだり、縦長の「巨石」が中空に漂ったり、山脈の頂に鎮座したり、また「弁証法」を主題としたシリーズ(題名にもある)があり、昼と夜があべこべに同居したり、つかみ合っている男女の輪郭が溶け合ったり、足と靴が一体になったり、「ヘーゲルの休日」という「傘」と「コップの水」の絵があったりと・・・私たちを煙に巻く主題群が次から次に襲ってくる。紳士は直立で天から降ってくる、窓ガラスが割れるとその先にあるはずの風景もガラスにひっついたまま割れる始末だ。
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身体も半分石になっていくなど、どうもマグリットは概念の境界がとても好きで、その境界を弁証法的に宙吊りにしてそのメタモルフォーゼを途中で止めて描いたり、一体化を見せるなどして、間の止まった時間に何が見えてくるかをいちいち絵にしたのではないかと思われる。

フーコーの「これはパイプではない」という論文は有名だが、そう題名に書いている絵には、どうみても「パイプ」が描かれているのだ。はてさて、こういった絵画を私たちはどう受け止めるか。

巨石は現実感を表現したいらしいのだが、それだけではない。なにもかも石化した風景はどうなのか?メドゥーサに呪われているとしか言い様がない。しかし、「呪い」と題された絵は青空と雲がただ描かれているだけだった。

どういった画家だと言えますかね。
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